第20回サイトウ・キネン・フェスティバル松本のオーケストラ・コンサートを聴く
●長野県松本市で毎年開かれている音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」に行ってきました。今年で20周年ですが、もうそんなに経つかという感じ。10年くらいしかたってない感覚なので愕然。歳取るわけだ、こりゃ。
これも「夏フェス」と言えば「夏フェス」ですが、一泊の短期滞在だったので自分が聞いたのは残念ながらオーケストラ・コンサート1つだけ。ダニエル・ハーディング指揮サイトウ・キネン・オーケストラで、シューベルト交響曲第3番とリヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」。2日目の8月25日の方。
●サイトウ・キネン・オーケストラはもちろん常設のオーケストラではなく、日本のオケ団員中心に海外のオケ団員等も参加した臨時編成のオーケストラなのですが、同じく非常設のオーケストラが弾くバイロイトやルツェルンの「フェスティバル管」同様、臨時編成的な不満感はほとんどありません。上手い奏者を寄せ集めれば良いオケになるわけではないので、精神的に核になるものがずっと続いているということなのでしょう(初期のメンバーはほとんどいませんし、亡くなってる方もいます)。
●今年は管楽器群に目を引く奏者が参加していて、例えばホルンには元ベルリン・フィルのバボラク、トランペットは現ベルリン・フィルのソロを吹くタルコヴィ、クラリネットはフィラデルフィア管弦楽団主席のモラレス等。シビアに聴けば毎年微妙に凸凹はあったりしますが、今年の管楽器群の分厚い響き、安定感は抜群でした。特にアルプス交響曲でのタルコヴィの演奏は素晴らしかったです。
クラリネットを吹いたフィラデルフィア管のリカルド・モラレスも非常に印象的。彼は開演前にステージ上で音出し練習をしてたのですが、単に音階的なパッセージを吹いてるだけなのに暖かで柔らかい、均質な響きが素晴らしく、思わず舞台前方の方まで歩いて聞き惚れてしまいました。実際シューベルトのアンサンブルの中から聞こえてくるクラリネットはいい感じでした。この曲でクラリネットが目立つ箇所は少しだけなのですが。
●2曲ともかなり夢中になって聞けて非常に満足。特にアルペンの演奏はこの曲を生でこれだけの質で聴くことは二度とあるかな、と思ったくらい。そんなに演奏される曲ではないし、編成が大きく楽器編成が特殊なので外国の超一級のオケが日本公演でやる可能性も低いので(不思議なことに、来年の1月この曲を定期演奏会でやる在京オケが2つあります。読響と新日フィル。今後何十年もないような偶然、おそろしや)。
ハーディングのシュトラウスは、今年新日フィルで「英雄の生涯」を聴いた時には、少し神経質というか、響きの繊細さを求めすぎるような印象があったのですが、この日のアルペンからはそのような感じは受けませんでした。
公式のダイジェスト映像が見れます(冒頭から10分くらい)。
●92年に松本でフェスティバルが始まる前の87年にサイトウ・キネン・オーケストラが初めてヨーロッパ公演を行った時のキャッチは Philharmonic soloists of Japan (調和を愛する日本のソリスト達)で、この一文を考えたのは今年亡くなった吉田秀和だったと記憶してます。
アンサンブルを志向するだけでなく、ソロイスティックな表現意欲に満ちた弦楽器群の演奏を聴くと、この一文が完全に音楽的に保たれているの実感します。斉藤秀雄も、音楽監督としてこのフェスの核になっている小澤征爾も(どんなに偉大でも)ただ1人の個でしかないし、参加者には初期のような斉藤秀雄との間接的な師弟関係すらないのに、音楽というのはどうしてこういうマジックを可能にしてしまうのかなと。
●このフェスのオーケストラ・コンサートでは終演後に全員がいったん退場後、再度オーケストラ団員、指揮者が全員一緒に仲間のように挨拶に登場するので、通常のシンフォニー・コンサートのように指揮者だけが一人呼び出されて喝采を浴びるシーン(いわゆる一般参賀)はないです。
こういう振る舞いは、指揮者・オケ団員間には厳然としたヒエラルキーがあるべしと考えるような旧巨匠系的な美学を持った指揮者は出来ないように思います。そうだよね、ダニエル(笑)。古い美学の巨匠然とした指揮者はこの松本の指揮台に立つことはないんでしょう。
●会場から見える風景は東京のコンサート会場とは違いすぎ。短い滞在でしたが幸せな気分で帰宅。ちょっと疲れましたが。NHKの放送が楽しみ。(関東地区の放送は2013年1月、NHKではなくBS朝日でした)
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