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カテゴリー「旅行・地域」の39件の記事

2011.11.06

フィルモア・ウェストのあった場所を見る

●以前にフィルモア・イーストの跡地に行ったときのことを書きましたが、西のフィルモアであったサンフランシスコ、フィルモア・ウェストの跡地訪問記も書いておきます。

 今現在のフィルモア・ウェスト跡です。Van Ness通りとMarket通りというサンフランシスコではどちらも大きな通りの交差点に建ってます。

Fw2

 かつてロックの一つのメッカだったような雰囲気はなし。フィルモア・イーストの跡に行った時のような感慨は何もありませんでした。地元のほとんどの人には Honda のオフィスでしかないでしょう。

 これは映画「フィルモア最後の日」のワンシーン。

Fillmorelast

 こちらで昔の写真が見れます。最初の写真と似てもにつきませんが、「フィルモア最後の日」の画像と比べても、この写真はフィルモア・ウェストのかなり初期のように思えます(旧名称の Carousel BallroomとFillmore の表示が併存してます)

 ちなみに下の写真は、ここから7ブロック西のFillmore通りに面してる現在の The Fillmore で、昔は The Fillmore Auditorium でした。

Thefillmore

 Fillmore West だの The Fillmore だの The Fillmore Auditorium だの紛らわしいので、ちょっと整理しておきます。

●元々アングラ演劇集団の活動に関わり、チャリティ・コンサートなどを基に活動資金の援助もしていたビル・グレアムは、援助活動と離れて、コンサート・ビジネスをするようになります。その拠点が(文字通りフィルモア通りにあった)「フィルモア・オーディトリアム」(The Fillmore Auditorium)でした。最初の商業公演は、1966年2月に開かれたジェファーソン・エアプレイン公演ということです。

 その2年半後に、ビルは自らのサンフランシスコでのコンサート・ビジネスの中心を、「フィルモア・オーディトリアム」から、後に「フィルモア・ウェスト」と呼ばれることになる「カルーセル・ボールルーム」(Carousel Ballroom)に移します。1968年7月のこと。

 一般に「フィルモア・ウェスト」というと後者を指すわけで、アリサ・フランクリンの有名なライブ盤 Aretha Live at Fillmore West(71年2月)やグレイトフル・デッドのLive Dead(69年2月、3月)は新フィルモアでの録音です(Live Dead は一部別会場)。「カルーセル・ボールルーム」時代にもロック公演は開かれていて、68年2月のグレイトフル・デッドのライブ録音は公式に発売されてます。

●「フィルモア・ウェスト」の最後が71年7月なので、ビル・グレアムのフィルモアでの活動は、旧フィルモアが2年半、新フィルモアが3年の計5年半だったいうことになります(ちなみにNYの「フィルモア・イースト」の活動は68年3月から71年6月と3年ちょっと)。前回書いた、同じグレアムのサンフランシスコでの活動のメイン会場だったウィンターランドは78年まで続いてます。

●旧フィルモア(The Fillmore Auditorium)は、「フィルモア・ウェスト」のオープン後もクラブとして存続し、80年代にはパンク・ニューウェイブ系バンドのショーが多く開かれていたということです。グレアムは80年代に旧フィルモアでの活動を再開したものの、旧フィルモアは89年のサンフランシスコ地震のダメージにより閉鎖。修復工事を経て94年に再オープンし、現在では Live Nation が The Fillmore として運営しています。ビル・グレアムは残念ながら91年にヘリコプターの事故で亡くなってます。

●現在の The Fillmore でのライブ音源もいくつかあると思いますが、自分の手元にあるのはロス・ロボスが2004年にやったライブのDVD

 その中に、バックステージの模様を収録したドキュメンタリーが入っていて、ロス・ロボスのメンバー達が泊まったミヤコホテル(現在はホテル・カブキ)の上層階からの眺望シーンが入ってました(今回見るまで気づきませんでした)。

Miyakoview_2

 写真中の黄色の2つの○は、左の○が旧フィルモア(かつての The Fillmore Auditorium で、現在の The Fillmore)、右の○がウィンターランド跡地です。かなり近いのが分かると思います。

●最初に、「フィルモア・ウェスト」跡は雰囲気ゼロと書きましたが、周囲もちょっとあやしい人たちがうろついてます。道挟んで向かいにはCHASE銀行の店舗がありましたが、入り口のところに民間の警備員ではなくリアル警官2人が警備してたのには驚きました。ガイドブック等には、このあたりから東側にかけてはサンフランシスコ市街地でも治安の悪いエリアと書かれてます。

 でも、一番最初の写真の撮影地点の後方(北)に5分も歩くとサンフランシスコ交響楽団の本拠地「デイヴィス・シンフォニー・ホール」があるし、その隣はサンフランシスコ歌劇場です(下写真。サンフランシスコ講和条約が調印された場所。「ラスト・ワルツ」の舞台セットは、ここの「椿姫」用の舞台セットを借りた)

Sfopera

 と、一応「立派な」エリアも近いんですけど。シンフォニーホール周辺は、コンサート開演前、終演後に客目当てに物乞いしてる人がいたりと、どうもあやしい。緊張感なしには歩けない、というのが正直な印象でした。道一本違うとコロっと雰囲気が変わったりするのですが。40年前はどうだったのでしょう。

●以上、よそ者的な勝手な思い入れで街を見物してるなという気はするのですが、映画監督のヴィム・ヴェンダースは映画「東京画」で、すでにありはしない小津安二郎の映画の面影を求めて東京を彷徨いながらパチンコ店を撮影してました(笑)。別に東京の住人は普段歩きながら小津のことなど考えはしないでしょう。

 異国人の思い入れはそういうものということで、お許しを。

 お目直しに、2004年 The Fillmore でのロス・ロボスをどうぞ。


2011.11.03

サンフランシスコ、ウィンターランドのあった場所

●何度か書いてる音楽の旧跡訪問ネタ。今回はサンフランシスコのウィンターランドです。

 現在のウィンターランド跡地。今は賃貸マンションが建っています。サンフランシスコ市街地の中心みたいなユニオン・スクエアからバスで西に向かって15分くらいのところ。

Winterland_neon

 マンション名は 2000 POST で公式サイトもあります。見る限りかなりお高いマンションという感じです。POSTというのは面している通りの名前です。ウィンターランドありし頃は、写真の右手前、角の出窓のところに「WINTERLAND」というネオンタワーがありました。

●ウインターランドはもちろん、60年代後半から70年代後半にかけて、サンフランシスコのロック・シーンを飾った最強会場の一つ。ザ・バンドのファンには「ラスト・ワルツ」の会場としてお馴染み(ザ・バンドとしての最初のコンサート会場もここですが)。

 映画「ラスト・ワルツ」は、アンコール曲だった Don't Do It の演奏シーンで始まり、その後に例の「ラスト・ワルツのテーマ」が始まってウィンターランド周辺の風景が映るのですが、映画で見たときの街並みの印象は一言で言えばものすごい場末感。道端にいる人もアヤシイし、1人では歩きたくないような負のオーラが出まくってるような感じでした。
 上のようなマンションが建つに相応しい場所にはまったく見えません。

●ウィンターランド跡地の目と鼻の先には、旧フィルモア(現在は Live Nation が買い取り The Fillmore という名称のライブ会場になってます)があるのですが、ビル・グレアムがフィルモアをそこからもっと東、サンフランシスコの中心街に近い(オペラハウスや庁舎の並ぶ)Van Ness通り移した理由に、周辺の治安の悪化があったということですから、「ラスト・ワルツ」で見れたあの殺伐とした風景は、たぶん当時の雰囲気そのままなのかなという気がします(もっとも、フィルモア・ウェスト移転後もウィンターランドは残ったわけですが)。

●ところが、2011年の今、実際に周辺を歩いてみると、そのようなヤバげな雰囲気はあまり感じられません。

 映画「ラスト・ワルツ」のワンシーンに出てくる車を解体してる人たち。こういうとこ歩きたくありません(笑)

Post_lw

 現在のPost通り。背後に見える建物は違いますが同じあたり?殺伐とした空き地はテニスコートのある公園みたいになってます。

Post_present

●「ラストワルツ」の1シーン。見るからに怪しいヤバげな街の風景。

Divisadero

 このシーンは、映画をよく見ると Divisaderoという通りを右折したところだと分かりますが、仮にここがPost通りに曲がる交差点だとすると、直進した左側にウィンターランドがありました。スコセッシが、ウィンターランドから少し離れたこんな街のシーンを挿入した意図は何なのでしょうか・・・(上の「車解体シーン」もそうですが)

●これも「ラスト・ワルツ」の1シーン。Post通りの一本北側にあるSutter通りから見たウィンターランドです。下の写真が、ほぼ同じ方向から見た現在の様子。ちょっと分かりにくいですが右隣に建ってる建物は同じですね。真ん中あたりに見える白い消火栓は今も残ってるのがわかります。

Winterland_sutter_lw
Winterland_sutter

●入場待ちのお客さんを撮った下のシーンは、上のSutter通りをちょうど逆方向に進む車から撮影してます。白い消火栓が目印。こうしてみると、映画のシーンは、車の進行通りに時系列で編集してるわけではないことが分かります。

Sutter_reverse

 映画ではここを右折していきますが、この位置を右折せずに直進していくと、出演ミュージシャン達が泊まっていた「ミヤコホテル」があります。写真左の高い建物がそれ(もっとも今は「ミヤコホテル」という名称ではありません)。

Miyako

 街中に日の丸が見えますが、この辺は日本人街です。

●ウィンターランドに出演したミュージシャンは無数で、ほぼロックの歴史そのもの。

 60年代にはクリーム(ライブ録音あり)やジミ・ヘンドリックス(最近68年のウィンターランド連続公演のボックスが出ました)もプレイした会場ですし、グレイトフル・デッドが74年に5日連続公演を行った時の模様は映画The Grateful Dead Movieでも見れます(演奏も素晴らしいですが、当時のコンサートの雰囲気もよく分かります)。

 グレイトフル・デッドはこの会場の最後の出演者で、78年12月31日の最後の公演の様子は The Closing of Winterland のDVDで見ることが出来ます。
(最近在庫ないみたいですが、そのうちブルーレイで出るでしょう。ビデオ画像で画質いまいち悪いですが面白いし、デッドの演奏スタイルが4年間でかなり変化してるのも興味深いです)

●ウィンターランドの歴史については、著名なニール・ヤング・サイト Thrasher's Wheat内に Winterland Stories という素晴らしいページがあり(なぜかThrasher's Wheatのtopページからは行けない)、この劇場についてかなり詳細な情報が見れるばかりか、Winterland Photos のところで、取り壊し前中後の貴重な写真をたくさん見ることができます。

●フィルモア・ウェストが71年に閉鎖されてからも7年続いたウィンターランドについて、故ビル・グレアムはこんな風に語ってます。


「あそこはほんとうに最高だった。わたしにとっては、オリジナルのフィルモア以上とは言わないまでも、それと同じくらいすばらしい小屋だった。もしかしたら、印象に残るコンサートの数は、フィルモアよりも多かったかもしれない」(「ロックを創った男」718頁)


 ビルには、サンフランシスコでのもう一つの会場フィルモア・ウェストがあったわけですが、フィルモア・ウェスト最後のドキュメンタリー映画 Fillmore: The Last Daysは、出演者との交渉のゴタゴタばかりが目立つ愉快でない作品でした(一番揉めてるボズ・スキャッグスの出演場面に至ってはDVD発売時にカットされてしまいした)。そんなことも、ウィンターランドに対する良いノスタルジーを強める理由なのかもしれません。

 ウィンターランド閉鎖の理由は、上のビルの自伝によると、老朽化による補修費用を捻出できなかったという単純な理由のようです。

●ここで演奏された最後の曲は We Bid You Goodnight で、もちろんグレイトフル・デッド。The Closing of Winterland (CDも出てます)で、ビル・グレアムの感動的なスピーチと一緒に聞くことができます。

Goodnight
(The Closing of Winterland DVD収録のスチル写真より)

●フィルモア・ウェストの跡地にも行ったのですが。そちらは何の感慨もわきませんでした。時間があればそのうち。

2011.07.30

新しくなった函館競馬場

●改修工事を経て2010年から生まれ変わった新・函館競馬場に行ってみました。

 と言っても行ったのは去年なのですが。改修前の最後の開催だった2008年に訪れた時も書いたのでけじめで書いておこうかなと。

●新スタンド。観客席は旧スタンド同様にオープン・エア。下は旧スタンドです。

Stand

Stand_old

 ここは重賞レース時でもそんなに混まないので、席で見るより芝に寝ころんで見るのが気持ち良いと思います。馬券はPATで買ってたので寝転がったまま動かないという完全に堕落モード。スタンド建て替えの恩恵なんて感じようがないという体たらく。

 場所は同じなので、飛行機が上空すぐ上をかすめるように飛ぶのは当然同じ。これは変わりようがない。

Air

●建物内部は外観以上に様変わりしていて、以前はスタンド建物から離れた位置にあったパドックも建物の一部に組み込まれるような感じになりました。

Padock1

 外から見るパドックはこんな感じ。風通しは悪くなりました。

Padock2

 パドックと観戦エリアの移動を繰り返すとかなりの運動になるのですが、これだとますます運動不足になるような。やはり競馬場に来たら動き回らないとダメだと思うんですけどね。

 昼食は前回同様ステーキ丼。テント売りの同じお店。前回食べたとき美味しかったので。

Don

 前日は大沼国定公園へ。良いところでした。

Ohnuma

●最近どこも出かけてなく、かなり煮詰まってるので、近場でよいからどこかでリフレッシュでもしようかな。秋のクラプトン・ウィンウッドはミニ・ツアーする予定ですが。

2011.02.27

ソウルでCDショップを物色する

●ソウルで旧跡やら観光名所の類を訪問する時間もなかったのでレコード店のぞいてきました。といっても、ガイドブックに出てるようなお店を2店だけですが。

●最初に行ったのが、Hot Tracks というお店。

 教保文庫という大書店と同じフロアの片隅にありました。雰囲気はソウルナビのこちらのページがよくわかりますが、書店とは思えないような混み混み状態。人の間を避けながら歩く感じ。日本と違って、町中に小さな書店がないようですが、それでこういうお店に人が集中してしまうのかしらん。

●店舗の全体の広さの割には、1Rマンションほどの別室に区切られたクラシック売り場が充実。

 韓国仕様の韓国盤というのが少ないせいもあり、輸入盤(日本盤含む)と韓国盤がまぜこぜで陳列。定価の刻印された「国内盤」だけがずらりと並んでいる日本の一部のショップのような光景はないです。

●日本で買うより概ね300円から500円位安いかなという感じ。レギュラープライスが1500、1600円くらいで買えますが、現地の人の経済力からするとそれなりのお値段と思われます。

 全体的にレギュラープライス盤とミッド、ロープライス盤の価格差が少ない印象。最近出たグールドの未発表ベルリン公演のライブ The Secret Live Tapes が1万7000ウォン(約1300円)。ブルーレイの新譜がだいたい4万ウォン(約3000円)前後。

●色々物色しましたが、外国でディスク散財すると宿でパッキング時に自己嫌悪に陥るので必死に自制。日本で見つける度に微妙に高いため躊躇してた64年ザルツブルクのケルテス「魔笛」が2万9500ウォン(約2200円)だったのでこれだけ購入。

Dvd1

 こんな感じでディスク情報を書いたシールも。

Dvd2

 貼られたシールのオレンジに塗られた箇所のハングル部分を調べてみたら「白黒」という意味でした。「ステレオのカラー作品じゃないから買う人は覚悟してね。」ということでしょうけど丁寧なお仕事。表カバーが見えるように立てて陳列された店の推奨盤ディスクの選別を見れば、音楽の教養があるマネージャーが売り場を管理してると思われます。

 ポップ系の品揃えは今一つ。ディランの Witmark Demo が 例のブランダイス大学のライブ付で売られていて、へっーって感じでしたが。

●ついでに本(ハングル読めないので洋書)も買いましたが、一冊くらいだと、特に袋にも入れず、こんな感じで購入済みを示す小さな赤スタンプが押されました。本を奇麗にしておきたい人は嫌でしょうね。

Seoulbook

 外国書コーナも端の方にありましたが、日本書はそれとは別の良い場所、広いスペースで売られてました。日本関連の書籍は現地の日本人だけでなく地元の人にも需要はあるのかなと思った次第。

●もう一軒訪れたのが、コエックス(COEX)という巨大ショッピングモール内にあるエヴァン・レコードというお店。ショップの公式サイトはこちら

 日曜だったのでショッピングモール大混雑。かたやレコードショップ内は閑古鳥。経営大丈夫なんでしょうか。

Evan1

 上のHot Tracksに比べると店内は広いのですが、在庫はかなりムラがある感じ。クラシック売り場はかなり広いですが都内のタワーレコードのような品揃えにはほど遠いです。都内もショップかなり減ってますけど。値段的にはHot Tracksと同じ感じ。

●エヴァン・レコードで見つけたのが、このスコセッシの The Blues シリーズのDVD。

Bluesdvd

 値段見た瞬間。ギョッとしました。DVD7枚組で2万2000ウォン、約1600円!

 「DVD7枚にこの値段はないだろ。パイレート盤か?」と思いましたが、パイレート物によくあるディスクと違ってボックス裏面に会社名、住所あり。ただし、会社名を検索しても情報はほとんどなし。Lightning in a Bottle や、日本でも公開された「永遠のモータウン」の韓国内のディストリビューターだったようですが、もう活動してないのかも知れません。

 スコセッシの The Blues はCS、BSで放送されたものを録画しただけだったので購入。薄型ケース入りで解説書の類はなし。字幕は本編に英語と韓国語が出るだけでボーナス映像の方は字幕なし。まあ、タダみたいなこの値段ならよいか。

●両店とも、映像物が日本で買うより割安なので、音楽物のDVDやBlu-rayをソウルに行ったついでに買うのはよろしいんじゃないでしょうか。

 ポップ系の輸入CDは日本の通販店でもまとめ買いすれば充分安いのでわざわざこちらのショップのぞく必要ないかなと。 お国物の k-pop という分類もありましたが特にそこだけを強調したような展示にはなってませんでした。あくまで1ジャンルという感じ。

 エヴァン・レコード入り口横にあったクラプトンのソウル公演の告知です。

Evan2

●ということで、外国のショップをのぞく度に日本のショップの偉大さを再確認するわけですが、今回も例外でなし。日本のショップは表も裏も、在庫の豊富さは世界一。といっても一部のお店だけですが。

2009.08.12

廃墟ゾフィエンザールを見る

 盆休みでダラけてるので、廃墟訪問ネタでも書いておきます。

●50年~80年代にかけて、デッカ・レコードのウィーン録音会場として使用されたゾフィエンザールです。行ったのは5月下旬。

 クラシック音楽好きなら、デッカのウィーン録音のディスクに記載された「ゾフィエンザール(Sofiensaal)」というクレジットを数え切れないほど目にしていると思います。DGやフィリップスといった大陸系レーベルの音とは明らかに異なる、あの派手目でブリリアントなサウンドのウィーン録音の本拠だったのがこの場所。

 現在の姿です。

Sofi_front

 下は現役時(1965年)の姿。BBCのドキュメンタリー The Golden Ring のDVDより。

Sofi65

●ここでの録音セッションは無数にあるわけですが、デッカが当時専属契約していたウィーン・フィルの録音会場を、必ずしも録音向きとは言えなかったムジークフェライン・ザールからここに移したのは1950年代中頃でした。メインのプロデューサーだったヴィクター・オロフがHMVに移籍した機会に、後任のプロデューサー達が判断したようです。

 以下、デッカの名プロデューサーだったジョン・カルショーの「リング・リザウンディング(Ring Resounding)」(学習研究社刊、山崎浩太郎訳)より。


「ウィーン・フィルは(中略)ゾフィエンザールへの移動には強硬に反対した。ゾフィエンザールは舞踏会場で、会議などが開かれる場所だった。一時は水浴用のプールだったこともある。演奏会場だった時代にはヨハン・シュトラウスが指揮したこともあるが、そんな事実もウィーン・フィルには関係なかった。彼らの目には、さえない環境で不便なものとして映っていた。」(105p)


「《指輪》録音の期間を通じて、ゾフィエンザールのある場所を使用する必要がときどき生じた。そこは表通りに面しているので、通行止めにしないと録音することが不可能だった。しかし警察は、どんなときでも面倒を厭わずに(迂回させられる運転者たちのことは言うまでもない)私たちを助けてくれた。」(110p)


 正面にある道路は、車1台通るのがやっとという狭さで、それほどスピードを出して通過するわけではないと思うのですが、外部からの遮音はその程度だったようです。上のカルショーの著書によると、録音時に屋根の上にいる鳥たちが演奏に合わせて鳴くので困ったそうです。


 正面やや右より。完全に廃墟。建物右部分がごっそりなくなってます。

Sofi_side

 裏側より撮った2枚。廃墟、というか解体中。

Sofi_back1
Sofi_back

●この建物が建ったのは1826年。当初は Sofienbad と呼ばれるスチーム風呂場だったそうで、その後ダンスホールに改修。デッカの録音には56年から80年代中頃まで使用されたそうですが、2001年に火災によりダメージを受け、現在は上のような状態です。
 火災後、内部に入った方の貴重な写真がこちらで見れます。

 将来的にはアパートに改修される予定だそうですが、上の写真でわかるように改修というより建て替えに近いです。

 Decca のDVD、The Golden Ring で見れる録音時の内部。1965年のショルティの「神々の黄昏」のセッション。

Sofi65_gotter

●場所は空港からの電車が着くミッテ駅の東側、駅から徒歩10分程度です。音楽好きの廃墟マニアの方は現地に行かれることがあればどうぞ。こんなところに来る物好きはいないので人混みが嫌いな方はお勧めです。

 古い建物が多いウィーンですが、訪問時ミッテ駅は建て替え工事中で、敷地はほぼ更地。

Wien_mitte

 完成後は下のような姿に生まれ変わるようです。ちょっと町並みに合わない気もしますがどうなんでしょう。

Neue_mitte

2009.06.13

ジミ・ヘンドリックスの住んでいたアパートをうろつく

 ディスクもそんな買ってないので、旅ネタ追加しておきます。

●1968年から1969年にかけて、ジミ・ヘンドリックスがロンドンで住んでいたというアパートに行ってみました。

 オックスフォード・サーカスの交差点から南にボンドストリートを進み、ブルック・ストリートという通りを西側に入ってすぐです。例の青い円形のEnglish Heritage の表示があるので、事前に位置と外観を確認しておけばすぐ分かると思います。

Jimi_house

 このアパートについて、ハリー・シャピロ著「エレクトリック・ジプシー」(岡山徹訳、大栄出版)にこんな記述があります。

「(ガールフレンドの)キャシー・エチンガムは、自分とジミのためのアパートを自分で決めるようになっていた。彼が金を送ってくると、二人はメイフェアーにあるブルック・ストリート25番地に引っ越した。  (略)  そのアパートは、かって17~18世紀に作曲家のジョージ・フレデリック・ヘンデルが住んでいた場所だと分かった。ジミはこれにえらくご満悦で、ヘンデルがやったようにここで作曲すると言い出し、キャシーにヘンデルのLPを全部買ってくるように言ったりした。ある面で、ヘンデルは当時のジミ・ヘンドリックスだった。ヘンデルはかってヴォクスホール・ガーデンのリハーサルを見にくるだけで1万2千人の観客を集めたことがある。音楽を勉強している学生などは、そのアパートを見学に来て、ツアー・ガイドがジミ・ヘンドリックスなので唖然としたものだ。」(下巻140p)

 そりゃ唖然とするわな(笑)。

 引用文中にあるように、右の建物(Brook25番)は18世紀にヘンデルが住んでたところで、現在、当時の内装に復元した上でヘンデル・ハウス・ミュージアムという博物館になっていて5ポンド払えば中に入れます。

 白い建物(Brook23番地)がジミのアパートで、右の茶色の建物(Brook25番地)がヘンデル・ハウス。旗はヘンデル・ハウスの案内です。

Jimi_house2

 青い円形表示の拡大です。「ジミ・ヘンドリックス(1942-1970)ギターリスト・作曲家 1968-1969 にかけてここに住む」。

Jimi_plaque

●上のシャピロの著書ではジミのアパートはBrook25番地となってますが、ミュージアムのフロアマップを見るかぎり、ジミの住んでたアパートはBrook23番となっています。

 ミュージアムがBrook25番なのでジミのアパートには入れないように見えますが、Brook23番の建物の2、3階部分(あちらでいう1st、2nd Floor)にミュージアムが拡張されているので部分的にですが入れます。
 23番の3階の裏庭側の一部屋にはかつてそこにジミが住んでいた旨の説明文とジミの写真6点が飾られてます。

 下は、2003年にこちらで開かれたらしいジミに関する催しのポスターです。どんなものだったかは残念ながらわかりません。

Jimi_poster

●ヘンデル・ハウスの方にもちょっと触れておくと、館内は当時の室内が再現されていて床の軋み音がすごいです(笑)。展示物は復元されたベッド、楽器、自筆譜、肖像画といったシンプルなものですが、250年タイムスリップしたような感覚になれます。そっち方面に興味があればそれなりに感慨に浸れると思います。

 館内の一室が演奏家のためのリハーサル室に開放されていて、自分の訪問時は、チェンバロとリコーダーという編成で若い演奏家がリハーサル中でした。あちらの木で内装された部屋っていい音で響きますなあ。

 見物後に裏庭で、ジンジャー・ベイカーみたいな顔したも物乞いに、「なー、何ペンスか恵んでくれないかなぁ」と話しかけられましたが、自分の未来のような気がしたので1ポンドあげました。わはは。

●繁華街のオックスフォード・ストリート、リージェント・ストリートやビートルズのアップル・ビル(空きビルになってました)のあるサヴィルも近いので、行きやすいです。お出かけの際はどうぞ。

 周辺の雰囲気はグーグル・マップでヴァーチャル体験できます。


大きな地図で見る

2009.06.03

旧レインボウ・シアターに行ってみる(含む番外編・旧アーセナル・スタジアムに行く)

●ロンドン滞在時、旧レインボウ・シアターを見てきました。

 Rainbow Theatre というと渋谷や新宿のようなところにあると勝手に妄想してましたが、あるのはロンドン中心部の北、地下鉄の路線エリアだとZone2のエリア。東京だと板橋区か北区って感じでしょうか。最寄りの Finsbury Park 駅のすぐそばにモスクがあり、イスラム系と覚しき人たちが目立ちます。
 Victoria Line のFinsbury Park 駅からすぐですが、私はちょっと離れた Arsenal 駅から散歩しながら行きました。

 Finsbury Park 駅から南西方面に歩いて行くとすぐ見えてきます。

Rainbow1

 現在の正面。

Rainbow2

 横側。

Rainbow3

 そんなに撮るところありません(苦笑)。

●この建物が The Astoria Theatre としてオープンしたのが1930年。The Rainbow Theatre になったのは1971年。現在ではブラジルに本拠を持つ宗教団体の建物になっていて一般人は入れません。当然外から眺めただけ。一応、重要建造物制度(Listed building)のグレードII*に認定されてます。

 1930年代の様子はこんな感じ。The Rainbow Theatre 時代の写真はこちらで見れます。

●ここで行われた公演というと、自分がすぐ思い出すのは、クラプトンの73年レインボウ・コンサート、傑作ライブ・アルバム Waiting For Columbus に音源が収録された77年のリトル・フィート公演あたりですが、上のリンク先のウィキペディアの該当ページを見ればわかるように他にも無数にあります。O.レディングの Live in London and Paris が収録(67年)されたのもAstoriaと呼ばれていた時代のここですね(過去ネタ)。

 ということで物好きには伝説的な場所です(たぶん)。



●以下、番外編。


 「レインボウ」にArsenal 駅から歩いていった理由は、「ハイバリー」と呼ばれたアーセナルFCの旧スタジアムが見たかったからでして。

 Piccadilly Line の Arsenal駅。周辺は、日本なら地下鉄駅があること自体不思議な閑静な住宅地。

Arsenal_station

 駅から東に歩くとすぐある駅側の入場口。工事中。真ん中あたりに旧西側スタンドが見えます。

Arsenal_entrance

 さらに歩いて右折してすぐ見えてくるスタジアム東スタンド(メイン・スタンド)。

Arsenal_east

 東スタンドの向かいの住宅。

Opposite_house

 こんなところにスタジアムがあるというのが日本の感覚からはあり得んですが。試合中は歓声・チャントの類がガンガン聞こえたはずで、住宅地として好環境なのか逆なのかさっぱりわからんです。

 観客席部分の名残です。

Stadium_current

 2006年に現地西よりのエミレーツ・スタジアムに本拠地が移転したので現在は改修中で、一般人は敷地内に入れません。旧ピッチ部分は庭園として改修し残すようです。

 完成予想図。

Stadium_plan

 スタジアムが現役だった頃の動画(05/06 チャンピオンズリーグ時のレアル・マドリー戦)。

2008.12.17

とりあえず香港

●慌ただしく香港に行きました。短期滞在者として上っ面眺めただけですが。

 当然CDショップをのぞきました。4年前に見た尖沙咀のHMVは規模縮小。値段もそれほど安くありません。お客さんもあまりいない・・・

 ストーンズのShine A Light 香港盤です。日本円で2000円程度ですが米盤に比べて安いと言うほどではないです。

Shine_hk

 女人街、男人街といった観光名所には小さなショップがあり、そういう店は安いです。

 こちらは、女人街にある WIN WIN SHOP というお店で買ったクラシック系DVD。198香港ドルなので、輸入盤価格の半額程度、日本盤定価の3分の1以下ですね。

Nyc

 もっと買ってしまいそうでしたが、必死に自制しました。

●こちらはシャティン競馬場。香港競馬最大のイベント、香港インターナショナル・レースの日。
 国際G1が4レースある大イベントですが、日本の競馬場のG1当日のような異常な混雑に比べると楽勝です。

Shatin

 こちらは、ジョッキークラブ会員用エリアの馬券売り場。日本のように購入窓口と払い戻し窓口が分かれていません。

Sellpay

 香港ヴァースの最後の直線。小さくて分かりにくいですが、外から2頭目が僅差の3着だった我らがジャガーメイル号です。来年が楽しみな馬です。

Hkvase

 帰国して高熱発生中。鳥インフルエンザではないと思います(たぶん)。インフルエンザ流行ってるようなので皆さんもお大事に。

 しかし、音楽と競馬しかないんかね・・・(苦笑)

2008.07.21

函館競馬場に行く

 何もせず寝て過ごすお休みは素晴らしい・・・ということで、ちょっと箸休め(?)。

●先日、函館競馬場に行ってきました。

 「函館、馬の旅」は、ここ数年の懸案事項だったのですが、夏場は高い航空券、同行者(同好者)とのスケジュール調整等々、微妙なハードルがあり未実現でした。
 今年は「もうどうでもいいから、行っちまえ」ということで、「ビジネスきっぷ」で函館に飛んでしまいました。まあ、ある意味「ビジネス」なんで。ははは。

 こんなネタでは、「お前は遊んでばかりか!」と誤解されるかもしれませんが・・・
 その通りです。わははは。

●昭和の雰囲気が残るスタンド。今年の開催後は、20112010年完成を目指し改修工事に入ります。

Img_2078

と感慨にひたるヒマもなく馬券モード突入。ハズれた・・・

Race

●当日は並んでB指定席(600円)を購入したのですが、コース前の芝エリアの方が気持ちが良いので結局最後までそこにいました。ふかふかの洋芝が気持ち良いです。

Img_2091

 ピーカンなので、4コーナー寄りの木陰に避難。極楽。

Img_2085

 ランチは、場内にテント出店してる地元焼肉店のステーキ弁当(1000円)とラム焼き(400円)とたこ焼き(未撮影)。

Img_2084

 東京競馬場で売ってる某チェーン店のステーキ弁当もほぼ同じ値段ですが、味は比べものにならんです。函館の圧勝。「まいう~~~~」
 ちなみに、前日行ったお寿司屋さんも、おまかせ+お好み注文で、1人5000円程度。お値段は都内と比べものになりません。作り置きでなく、頼むと時間をかけて作ってくれる穴子ウマ~。

 ランチ後は、また日なたに出て馬券に没頭してしまい、気づくと両腕が日焼けで真っ赤に。数日後、両腕の皮がボロボロ。いやー、この歳で、皮がむけるとは思いませんでした。わはははは。

●当日重賞初勝利となったキンシャサ君です。

Img_2102

 この日は重賞レースの日でしたが、混み具合は程々で快適。府中、中山の一般エリアはいつも人密集で年寄りにはかなりしんどく、指定席以外で現場見物する気がしないのですが、この混み具合なら一般席で十分です。

●昼あたりから、函館空港に着陸する飛行機が競馬場上空を至近距離で飛んで行きます。もうスタンドの屋根をかすめると錯覚するような近さ。

Img_2089

 馬券がボロボロに終わった帰り際に、こんな記念碑?を発見。

Img_2109

 馬番連勝馬券の誕生は日本の競馬史に残る大事件だったらしいです。この記念碑を作るのにいくらかかったのでしょうか(笑)。

●下は、前日、函館山から見下ろした函館市内。残念ながらモヤってましたが、晴れた日には、競馬場まで一望できるかと。

Img_2056

 日曜、羽田行き最終便の搭乗ゲート前は、馬関係者だらけでした(笑)。

 これで、JRA全競馬場中、未訪問は福島だけとなりました。
 また行くのだ。年に1回函館競馬。

2008.07.18

ロイヤル・オペラ・ハウスで「フィガロ」を聴く

●コヴェントガーデンにある、ロイヤル・オペラ・ハウスにも行ってみました。

Front1

 演目はモーツァルトの「フィガロの結婚」、指揮はサー・チャールズ・マッケラス・・・のはずだったんですが、当日、キャスト変更のメールが来て、「サー・チャールズは風邪でダウンのため David Syrus に指揮者が変更になります」。

 サー・チャールズのモーツァルトは大変素晴らしく楽しみにしてたので、仕方なしとはいえ落ち込む。

●チケットはWeb予約。最上階のAmphitheater というエリアで48ポンド。オペラなんで安席でもそれなりの値段です。

 以前に書きましたが、この劇場のチケット予約システムは素晴らしいです。楽しみながらチケット予約できます。チケットは海外発送はしてくれず、劇場のボックス・オフィス受け取り。

●これは劇場のコヴェントガーデン・マーケット側入り口。すぐ右後方が、有名なコヴェントガーデン・マーケットです。

Back

 ここから入ってすぐ左に、劇場のショップ(DVD1枚散財)。その先がボックス・オフィス。
 
 このコヴェントガーデン・マーケット側出入り口の途中、こんな人が見下ろしてます(笑)。

Solti0

 プレートには、「サー・ゲオルグ・ショルティ 音楽の手品師、指揮棒の魔術師 1961-1971 の音楽監督」。

●実は、以前からこの劇場の正面からの全景写真がないのを不思議に思ってたのですが。行ってみてわかりました。

 劇場前は、日本なら時速30k制限の狭い片側一車線道路。向かい側には建物がびっしり建ってます。ようするに魚眼レンズでも使わない限り全景を捉えるのは無理。

 無理矢理、全体(といっても正面のみ)を撮影しようとすると、こんな角度になってしまいます。

Front2

 ファサードの美しい左側の建物(フローラル・ホール。かつてはマーケットの一部)も今は劇場の一部で、入って階を上がると吹き抜けのこんなテラス・カフェがあります。

Roh_terracecafe
 
 ちなみに、私は最上階の Amphitheater というエリアで聴いてましたが、メインの建物からは最上階エリアに行けません。フローラル・ホール内、左側にエスカレータがありそちらを通ります。
 つまり、安い席の衆(笑)は時計回りに迂回して上がり座席までいきます。上のカフェ写真は、エスカレーターを昇りきった高さから撮ったものです。

 昔読んだ本に、コヴェントガーデンは安席の客の出入り口が別になってる、それくらいイギリスは階級社会だぞ、というのがありましたが、そういう側面があるかどうかは知りません(笑)。

 劇場の main auditorium は、Listed building のグレード1です。

●最上階 Amphitheater はこんな感じ。「座席での(in tne auditorium)写真撮影は禁止です」とありましたが、「上演中の撮影禁止」と勝手に解釈して撮りました。ごめんなさい(チキン度が日によって変わる)。

Amphi1

 下の写真は文字通り「最上階」。両サイドにある Upper Slips という席(暗いので色調いじりました)。ほとんど舞台は見えないので、皆さん身を乗り出して聴いてました。高所恐怖症の人向きではありません。実際Webでチケット買おうとするとそういう警告が出ます。

Upper_slips

 Amphitheater の座席はアーム・レストがなく、幅が狭いのでちょっと窮屈。長時間物だと拷問かもしれません。

●Amphitheater に聴こえてくるオーケストラの響きはダメダメでした。オケの音が薄っペらで軽い。序曲で軽く失望。お値段相応ということで仕方ないかと。歌手の声はまあ良く聴こえてきます。
 反面、舞台上は良く見え、当夜のすばらしい舞台装置の全貌が、離れてはいますが見渡せました。舞台上方に英語の字幕が出ます。
 
 ちょっと驚いたのが、英国のお客さんが声を出してよく笑うこと。ミスター・ビーンの映画並みに笑います。
 たしかに、「フィガロ」は喜劇ですが、作品、ストーリー、台詞超有名。わかりきってるのにそんなに笑うか???、という位笑います。隣のオバ、いやご婦人もワハワハ笑ってました。
 
 David Syrus の演奏は、私には、オペラ小屋のルーティーンのレパートリーを消化する指揮者の演奏以上には聴こえませんでした。

●最寄り駅はもちろん地下鉄のコヴェントガーデン駅です。

Covent_statiion

 有名観光地なので駅はいつも混雑。地下鉄車内の路線図に「コヴェントガーデン駅は混雑します。特に夕方、週末行く方は、最寄りのレスター・スクエア駅かホルボーン駅をご利用ください。コヴェントガーデンには歩いていけます」という注意書きがある位です。

 自分が劇場に行った金曜夕方も混み混み。
 エレベータが混雑してたので脇の螺旋階段を登りましたが、「この階段は190ウン段あります。緊急時以外利用しないでください」という警告が(笑)。ちなみに、国立競技場の聖火台への階段は163段だそうです。

 地上に出た時はヘロヘロ。

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