フィルモア・ウェストのあった場所を見る
●以前にフィルモア・イーストの跡地に行ったときのことを書きましたが、西のフィルモアであったサンフランシスコ、フィルモア・ウェストの跡地訪問記も書いておきます。
今現在のフィルモア・ウェスト跡です。Van Ness通りとMarket通りというサンフランシスコではどちらも大きな通りの交差点に建ってます。
かつてロックの一つのメッカだったような雰囲気はなし。フィルモア・イーストの跡に行った時のような感慨は何もありませんでした。地元のほとんどの人には Honda のオフィスでしかないでしょう。
これは映画「フィルモア最後の日」のワンシーン。
こちらで昔の写真が見れます。最初の写真と似てもにつきませんが、「フィルモア最後の日」の画像と比べても、この写真はフィルモア・ウェストのかなり初期のように思えます(旧名称の Carousel BallroomとFillmore の表示が併存してます)
ちなみに下の写真は、ここから7ブロック西のFillmore通りに面してる現在の The Fillmore で、昔は The Fillmore Auditorium でした。
Fillmore West だの The Fillmore だの The Fillmore Auditorium だの紛らわしいので、ちょっと整理しておきます。
●元々アングラ演劇集団の活動に関わり、チャリティ・コンサートなどを基に活動資金の援助もしていたビル・グレアムは、援助活動と離れて、コンサート・ビジネスをするようになります。その拠点が(文字通りフィルモア通りにあった)「フィルモア・オーディトリアム」(The Fillmore Auditorium)でした。最初の商業公演は、1966年2月に開かれたジェファーソン・エアプレイン公演ということです。
その2年半後に、ビルは自らのサンフランシスコでのコンサート・ビジネスの中心を、「フィルモア・オーディトリアム」から、後に「フィルモア・ウェスト」と呼ばれることになる「カルーセル・ボールルーム」(Carousel Ballroom)に移します。1968年7月のこと。
一般に「フィルモア・ウェスト」というと後者を指すわけで、アリサ・フランクリンの有名なライブ盤 Aretha Live at Fillmore West(71年2月)やグレイトフル・デッドのLive Dead(69年2月、3月)は新フィルモアでの録音です(Live Dead は一部別会場)。「カルーセル・ボールルーム」時代にもロック公演は開かれていて、68年2月のグレイトフル・デッドのライブ録音は公式に発売されてます。
●「フィルモア・ウェスト」の最後が71年7月なので、ビル・グレアムのフィルモアでの活動は、旧フィルモアが2年半、新フィルモアが3年の計5年半だったいうことになります(ちなみにNYの「フィルモア・イースト」の活動は68年3月から71年6月と3年ちょっと)。前回書いた、同じグレアムのサンフランシスコでの活動のメイン会場だったウィンターランドは78年まで続いてます。
●旧フィルモア(The Fillmore Auditorium)は、「フィルモア・ウェスト」のオープン後もクラブとして存続し、80年代にはパンク・ニューウェイブ系バンドのショーが多く開かれていたということです。グレアムは80年代に旧フィルモアでの活動を再開したものの、旧フィルモアは89年のサンフランシスコ地震のダメージにより閉鎖。修復工事を経て94年に再オープンし、現在では Live Nation が The Fillmore として運営しています。ビル・グレアムは残念ながら91年にヘリコプターの事故で亡くなってます。
●現在の The Fillmore でのライブ音源もいくつかあると思いますが、自分の手元にあるのはロス・ロボスが2004年にやったライブのDVD。
その中に、バックステージの模様を収録したドキュメンタリーが入っていて、ロス・ロボスのメンバー達が泊まったミヤコホテル(現在はホテル・カブキ)の上層階からの眺望シーンが入ってました(今回見るまで気づきませんでした)。
写真中の黄色の2つの○は、左の○が旧フィルモア(かつての The Fillmore Auditorium で、現在の The Fillmore)、右の○がウィンターランド跡地です。かなり近いのが分かると思います。
●最初に、「フィルモア・ウェスト」跡は雰囲気ゼロと書きましたが、周囲もちょっとあやしい人たちがうろついてます。道挟んで向かいにはCHASE銀行の店舗がありましたが、入り口のところに民間の警備員ではなくリアル警官2人が警備してたのには驚きました。ガイドブック等には、このあたりから東側にかけてはサンフランシスコ市街地でも治安の悪いエリアと書かれてます。
でも、一番最初の写真の撮影地点の後方(北)に5分も歩くとサンフランシスコ交響楽団の本拠地「デイヴィス・シンフォニー・ホール」があるし、その隣はサンフランシスコ歌劇場です(下写真。サンフランシスコ講和条約が調印された場所。「ラスト・ワルツ」の舞台セットは、ここの「椿姫」用の舞台セットを借りた)
と、一応「立派な」エリアも近いんですけど。シンフォニーホール周辺は、コンサート開演前、終演後に客目当てに物乞いしてる人がいたりと、どうもあやしい。緊張感なしには歩けない、というのが正直な印象でした。道一本違うとコロっと雰囲気が変わったりするのですが。40年前はどうだったのでしょう。
●以上、よそ者的な勝手な思い入れで街を見物してるなという気はするのですが、映画監督のヴィム・ヴェンダースは映画「東京画」で、すでにありはしない小津安二郎の映画の面影を求めて東京を彷徨いながらパチンコ店を撮影してました(笑)。別に東京の住人は普段歩きながら小津のことなど考えはしないでしょう。
異国人の思い入れはそういうものということで、お許しを。
お目直しに、2004年 The Fillmore でのロス・ロボスをどうぞ。
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