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カテゴリー「音楽と街」の11件の記事

2011.11.06

フィルモア・ウェストのあった場所を見る

●以前にフィルモア・イーストの跡地に行ったときのことを書きましたが、西のフィルモアであったサンフランシスコ、フィルモア・ウェストの跡地訪問記も書いておきます。

 今現在のフィルモア・ウェスト跡です。Van Ness通りとMarket通りというサンフランシスコではどちらも大きな通りの交差点に建ってます。

Fw2

 かつてロックの一つのメッカだったような雰囲気はなし。フィルモア・イーストの跡に行った時のような感慨は何もありませんでした。地元のほとんどの人には Honda のオフィスでしかないでしょう。

 これは映画「フィルモア最後の日」のワンシーン。

Fillmorelast

 こちらで昔の写真が見れます。最初の写真と似てもにつきませんが、「フィルモア最後の日」の画像と比べても、この写真はフィルモア・ウェストのかなり初期のように思えます(旧名称の Carousel BallroomとFillmore の表示が併存してます)

 ちなみに下の写真は、ここから7ブロック西のFillmore通りに面してる現在の The Fillmore で、昔は The Fillmore Auditorium でした。

Thefillmore

 Fillmore West だの The Fillmore だの The Fillmore Auditorium だの紛らわしいので、ちょっと整理しておきます。

●元々アングラ演劇集団の活動に関わり、チャリティ・コンサートなどを基に活動資金の援助もしていたビル・グレアムは、援助活動と離れて、コンサート・ビジネスをするようになります。その拠点が(文字通りフィルモア通りにあった)「フィルモア・オーディトリアム」(The Fillmore Auditorium)でした。最初の商業公演は、1966年2月に開かれたジェファーソン・エアプレイン公演ということです。

 その2年半後に、ビルは自らのサンフランシスコでのコンサート・ビジネスの中心を、「フィルモア・オーディトリアム」から、後に「フィルモア・ウェスト」と呼ばれることになる「カルーセル・ボールルーム」(Carousel Ballroom)に移します。1968年7月のこと。

 一般に「フィルモア・ウェスト」というと後者を指すわけで、アリサ・フランクリンの有名なライブ盤 Aretha Live at Fillmore West(71年2月)やグレイトフル・デッドのLive Dead(69年2月、3月)は新フィルモアでの録音です(Live Dead は一部別会場)。「カルーセル・ボールルーム」時代にもロック公演は開かれていて、68年2月のグレイトフル・デッドのライブ録音は公式に発売されてます。

●「フィルモア・ウェスト」の最後が71年7月なので、ビル・グレアムのフィルモアでの活動は、旧フィルモアが2年半、新フィルモアが3年の計5年半だったいうことになります(ちなみにNYの「フィルモア・イースト」の活動は68年3月から71年6月と3年ちょっと)。前回書いた、同じグレアムのサンフランシスコでの活動のメイン会場だったウィンターランドは78年まで続いてます。

●旧フィルモア(The Fillmore Auditorium)は、「フィルモア・ウェスト」のオープン後もクラブとして存続し、80年代にはパンク・ニューウェイブ系バンドのショーが多く開かれていたということです。グレアムは80年代に旧フィルモアでの活動を再開したものの、旧フィルモアは89年のサンフランシスコ地震のダメージにより閉鎖。修復工事を経て94年に再オープンし、現在では Live Nation が The Fillmore として運営しています。ビル・グレアムは残念ながら91年にヘリコプターの事故で亡くなってます。

●現在の The Fillmore でのライブ音源もいくつかあると思いますが、自分の手元にあるのはロス・ロボスが2004年にやったライブのDVD

 その中に、バックステージの模様を収録したドキュメンタリーが入っていて、ロス・ロボスのメンバー達が泊まったミヤコホテル(現在はホテル・カブキ)の上層階からの眺望シーンが入ってました(今回見るまで気づきませんでした)。

Miyakoview_2

 写真中の黄色の2つの○は、左の○が旧フィルモア(かつての The Fillmore Auditorium で、現在の The Fillmore)、右の○がウィンターランド跡地です。かなり近いのが分かると思います。

●最初に、「フィルモア・ウェスト」跡は雰囲気ゼロと書きましたが、周囲もちょっとあやしい人たちがうろついてます。道挟んで向かいにはCHASE銀行の店舗がありましたが、入り口のところに民間の警備員ではなくリアル警官2人が警備してたのには驚きました。ガイドブック等には、このあたりから東側にかけてはサンフランシスコ市街地でも治安の悪いエリアと書かれてます。

 でも、一番最初の写真の撮影地点の後方(北)に5分も歩くとサンフランシスコ交響楽団の本拠地「デイヴィス・シンフォニー・ホール」があるし、その隣はサンフランシスコ歌劇場です(下写真。サンフランシスコ講和条約が調印された場所。「ラスト・ワルツ」の舞台セットは、ここの「椿姫」用の舞台セットを借りた)

Sfopera

 と、一応「立派な」エリアも近いんですけど。シンフォニーホール周辺は、コンサート開演前、終演後に客目当てに物乞いしてる人がいたりと、どうもあやしい。緊張感なしには歩けない、というのが正直な印象でした。道一本違うとコロっと雰囲気が変わったりするのですが。40年前はどうだったのでしょう。

●以上、よそ者的な勝手な思い入れで街を見物してるなという気はするのですが、映画監督のヴィム・ヴェンダースは映画「東京画」で、すでにありはしない小津安二郎の映画の面影を求めて東京を彷徨いながらパチンコ店を撮影してました(笑)。別に東京の住人は普段歩きながら小津のことなど考えはしないでしょう。

 異国人の思い入れはそういうものということで、お許しを。

 お目直しに、2004年 The Fillmore でのロス・ロボスをどうぞ。


2011.11.03

サンフランシスコ、ウィンターランドのあった場所

●何度か書いてる音楽の旧跡訪問ネタ。今回はサンフランシスコのウィンターランドです。

 現在のウィンターランド跡地。今は賃貸マンションが建っています。サンフランシスコ市街地の中心みたいなユニオン・スクエアからバスで西に向かって15分くらいのところ。

Winterland_neon

 マンション名は 2000 POST で公式サイトもあります。見る限りかなりお高いマンションという感じです。POSTというのは面している通りの名前です。ウィンターランドありし頃は、写真の右手前、角の出窓のところに「WINTERLAND」というネオンタワーがありました。

●ウインターランドはもちろん、60年代後半から70年代後半にかけて、サンフランシスコのロック・シーンを飾った最強会場の一つ。ザ・バンドのファンには「ラスト・ワルツ」の会場としてお馴染み(ザ・バンドとしての最初のコンサート会場もここですが)。

 映画「ラスト・ワルツ」は、アンコール曲だった Don't Do It の演奏シーンで始まり、その後に例の「ラスト・ワルツのテーマ」が始まってウィンターランド周辺の風景が映るのですが、映画で見たときの街並みの印象は一言で言えばものすごい場末感。道端にいる人もアヤシイし、1人では歩きたくないような負のオーラが出まくってるような感じでした。
 上のようなマンションが建つに相応しい場所にはまったく見えません。

●ウィンターランド跡地の目と鼻の先には、旧フィルモア(現在は Live Nation が買い取り The Fillmore という名称のライブ会場になってます)があるのですが、ビル・グレアムがフィルモアをそこからもっと東、サンフランシスコの中心街に近い(オペラハウスや庁舎の並ぶ)Van Ness通り移した理由に、周辺の治安の悪化があったということですから、「ラスト・ワルツ」で見れたあの殺伐とした風景は、たぶん当時の雰囲気そのままなのかなという気がします(もっとも、フィルモア・ウェスト移転後もウィンターランドは残ったわけですが)。

●ところが、2011年の今、実際に周辺を歩いてみると、そのようなヤバげな雰囲気はあまり感じられません。

 映画「ラスト・ワルツ」のワンシーンに出てくる車を解体してる人たち。こういうとこ歩きたくありません(笑)

Post_lw

 現在のPost通り。背後に見える建物は違いますが同じあたり?殺伐とした空き地はテニスコートのある公園みたいになってます。

Post_present

●「ラストワルツ」の1シーン。見るからに怪しいヤバげな街の風景。

Divisadero

 このシーンは、映画をよく見ると Divisaderoという通りを右折したところだと分かりますが、仮にここがPost通りに曲がる交差点だとすると、直進した左側にウィンターランドがありました。スコセッシが、ウィンターランドから少し離れたこんな街のシーンを挿入した意図は何なのでしょうか・・・(上の「車解体シーン」もそうですが)

●これも「ラスト・ワルツ」の1シーン。Post通りの一本北側にあるSutter通りから見たウィンターランドです。下の写真が、ほぼ同じ方向から見た現在の様子。ちょっと分かりにくいですが右隣に建ってる建物は同じですね。真ん中あたりに見える白い消火栓は今も残ってるのがわかります。

Winterland_sutter_lw
Winterland_sutter

●入場待ちのお客さんを撮った下のシーンは、上のSutter通りをちょうど逆方向に進む車から撮影してます。白い消火栓が目印。こうしてみると、映画のシーンは、車の進行通りに時系列で編集してるわけではないことが分かります。

Sutter_reverse

 映画ではここを右折していきますが、この位置を右折せずに直進していくと、出演ミュージシャン達が泊まっていた「ミヤコホテル」があります。写真左の高い建物がそれ(もっとも今は「ミヤコホテル」という名称ではありません)。

Miyako

 街中に日の丸が見えますが、この辺は日本人街です。

●ウィンターランドに出演したミュージシャンは無数で、ほぼロックの歴史そのもの。

 60年代にはクリーム(ライブ録音あり)やジミ・ヘンドリックス(最近68年のウィンターランド連続公演のボックスが出ました)もプレイした会場ですし、グレイトフル・デッドが74年に5日連続公演を行った時の模様は映画The Grateful Dead Movieでも見れます(演奏も素晴らしいですが、当時のコンサートの雰囲気もよく分かります)。

 グレイトフル・デッドはこの会場の最後の出演者で、78年12月31日の最後の公演の様子は The Closing of Winterland のDVDで見ることが出来ます。
(最近在庫ないみたいですが、そのうちブルーレイで出るでしょう。ビデオ画像で画質いまいち悪いですが面白いし、デッドの演奏スタイルが4年間でかなり変化してるのも興味深いです)

●ウィンターランドの歴史については、著名なニール・ヤング・サイト Thrasher's Wheat内に Winterland Stories という素晴らしいページがあり(なぜかThrasher's Wheatのtopページからは行けない)、この劇場についてかなり詳細な情報が見れるばかりか、Winterland Photos のところで、取り壊し前中後の貴重な写真をたくさん見ることができます。

●フィルモア・ウェストが71年に閉鎖されてからも7年続いたウィンターランドについて、故ビル・グレアムはこんな風に語ってます。


「あそこはほんとうに最高だった。わたしにとっては、オリジナルのフィルモア以上とは言わないまでも、それと同じくらいすばらしい小屋だった。もしかしたら、印象に残るコンサートの数は、フィルモアよりも多かったかもしれない」(「ロックを創った男」718頁)


 ビルには、サンフランシスコでのもう一つの会場フィルモア・ウェストがあったわけですが、フィルモア・ウェスト最後のドキュメンタリー映画 Fillmore: The Last Daysは、出演者との交渉のゴタゴタばかりが目立つ愉快でない作品でした(一番揉めてるボズ・スキャッグスの出演場面に至ってはDVD発売時にカットされてしまいした)。そんなことも、ウィンターランドに対する良いノスタルジーを強める理由なのかもしれません。

 ウィンターランド閉鎖の理由は、上のビルの自伝によると、老朽化による補修費用を捻出できなかったという単純な理由のようです。

●ここで演奏された最後の曲は We Bid You Goodnight で、もちろんグレイトフル・デッド。The Closing of Winterland (CDも出てます)で、ビル・グレアムの感動的なスピーチと一緒に聞くことができます。

Goodnight
(The Closing of Winterland DVD収録のスチル写真より)

●フィルモア・ウェストの跡地にも行ったのですが。そちらは何の感慨もわきませんでした。時間があればそのうち。

2009.08.12

廃墟ゾフィエンザールを見る

 盆休みでダラけてるので、廃墟訪問ネタでも書いておきます。

●50年~80年代にかけて、デッカ・レコードのウィーン録音会場として使用されたゾフィエンザールです。行ったのは5月下旬。

 クラシック音楽好きなら、デッカのウィーン録音のディスクに記載された「ゾフィエンザール(Sofiensaal)」というクレジットを数え切れないほど目にしていると思います。DGやフィリップスといった大陸系レーベルの音とは明らかに異なる、あの派手目でブリリアントなサウンドのウィーン録音の本拠だったのがこの場所。

 現在の姿です。

Sofi_front

 下は現役時(1965年)の姿。BBCのドキュメンタリー The Golden Ring のDVDより。

Sofi65

●ここでの録音セッションは無数にあるわけですが、デッカが当時専属契約していたウィーン・フィルの録音会場を、必ずしも録音向きとは言えなかったムジークフェライン・ザールからここに移したのは1950年代中頃でした。メインのプロデューサーだったヴィクター・オロフがHMVに移籍した機会に、後任のプロデューサー達が判断したようです。

 以下、デッカの名プロデューサーだったジョン・カルショーの「リング・リザウンディング(Ring Resounding)」(学習研究社刊、山崎浩太郎訳)より。


「ウィーン・フィルは(中略)ゾフィエンザールへの移動には強硬に反対した。ゾフィエンザールは舞踏会場で、会議などが開かれる場所だった。一時は水浴用のプールだったこともある。演奏会場だった時代にはヨハン・シュトラウスが指揮したこともあるが、そんな事実もウィーン・フィルには関係なかった。彼らの目には、さえない環境で不便なものとして映っていた。」(105p)


「《指輪》録音の期間を通じて、ゾフィエンザールのある場所を使用する必要がときどき生じた。そこは表通りに面しているので、通行止めにしないと録音することが不可能だった。しかし警察は、どんなときでも面倒を厭わずに(迂回させられる運転者たちのことは言うまでもない)私たちを助けてくれた。」(110p)


 正面にある道路は、車1台通るのがやっとという狭さで、それほどスピードを出して通過するわけではないと思うのですが、外部からの遮音はその程度だったようです。上のカルショーの著書によると、録音時に屋根の上にいる鳥たちが演奏に合わせて鳴くので困ったそうです。


 正面やや右より。完全に廃墟。建物右部分がごっそりなくなってます。

Sofi_side

 裏側より撮った2枚。廃墟、というか解体中。

Sofi_back1
Sofi_back

●この建物が建ったのは1826年。当初は Sofienbad と呼ばれるスチーム風呂場だったそうで、その後ダンスホールに改修。デッカの録音には56年から80年代中頃まで使用されたそうですが、2001年に火災によりダメージを受け、現在は上のような状態です。
 火災後、内部に入った方の貴重な写真がこちらで見れます。

 将来的にはアパートに改修される予定だそうですが、上の写真でわかるように改修というより建て替えに近いです。

 Decca のDVD、The Golden Ring で見れる録音時の内部。1965年のショルティの「神々の黄昏」のセッション。

Sofi65_gotter

●場所は空港からの電車が着くミッテ駅の東側、駅から徒歩10分程度です。音楽好きの廃墟マニアの方は現地に行かれることがあればどうぞ。こんなところに来る物好きはいないので人混みが嫌いな方はお勧めです。

 古い建物が多いウィーンですが、訪問時ミッテ駅は建て替え工事中で、敷地はほぼ更地。

Wien_mitte

 完成後は下のような姿に生まれ変わるようです。ちょっと町並みに合わない気もしますがどうなんでしょう。

Neue_mitte

2009.06.13

ジミ・ヘンドリックスの住んでいたアパートをうろつく

 ディスクもそんな買ってないので、旅ネタ追加しておきます。

●1968年から1969年にかけて、ジミ・ヘンドリックスがロンドンで住んでいたというアパートに行ってみました。

 オックスフォード・サーカスの交差点から南にボンドストリートを進み、ブルック・ストリートという通りを西側に入ってすぐです。例の青い円形のEnglish Heritage の表示があるので、事前に位置と外観を確認しておけばすぐ分かると思います。

Jimi_house

 このアパートについて、ハリー・シャピロ著「エレクトリック・ジプシー」(岡山徹訳、大栄出版)にこんな記述があります。

「(ガールフレンドの)キャシー・エチンガムは、自分とジミのためのアパートを自分で決めるようになっていた。彼が金を送ってくると、二人はメイフェアーにあるブルック・ストリート25番地に引っ越した。  (略)  そのアパートは、かって17~18世紀に作曲家のジョージ・フレデリック・ヘンデルが住んでいた場所だと分かった。ジミはこれにえらくご満悦で、ヘンデルがやったようにここで作曲すると言い出し、キャシーにヘンデルのLPを全部買ってくるように言ったりした。ある面で、ヘンデルは当時のジミ・ヘンドリックスだった。ヘンデルはかってヴォクスホール・ガーデンのリハーサルを見にくるだけで1万2千人の観客を集めたことがある。音楽を勉強している学生などは、そのアパートを見学に来て、ツアー・ガイドがジミ・ヘンドリックスなので唖然としたものだ。」(下巻140p)

 そりゃ唖然とするわな(笑)。

 引用文中にあるように、右の建物(Brook25番)は18世紀にヘンデルが住んでたところで、現在、当時の内装に復元した上でヘンデル・ハウス・ミュージアムという博物館になっていて5ポンド払えば中に入れます。

 白い建物(Brook23番地)がジミのアパートで、右の茶色の建物(Brook25番地)がヘンデル・ハウス。旗はヘンデル・ハウスの案内です。

Jimi_house2

 青い円形表示の拡大です。「ジミ・ヘンドリックス(1942-1970)ギターリスト・作曲家 1968-1969 にかけてここに住む」。

Jimi_plaque

●上のシャピロの著書ではジミのアパートはBrook25番地となってますが、ミュージアムのフロアマップを見るかぎり、ジミの住んでたアパートはBrook23番となっています。

 ミュージアムがBrook25番なのでジミのアパートには入れないように見えますが、Brook23番の建物の2、3階部分(あちらでいう1st、2nd Floor)にミュージアムが拡張されているので部分的にですが入れます。
 23番の3階の裏庭側の一部屋にはかつてそこにジミが住んでいた旨の説明文とジミの写真6点が飾られてます。

 下は、2003年にこちらで開かれたらしいジミに関する催しのポスターです。どんなものだったかは残念ながらわかりません。

Jimi_poster

●ヘンデル・ハウスの方にもちょっと触れておくと、館内は当時の室内が再現されていて床の軋み音がすごいです(笑)。展示物は復元されたベッド、楽器、自筆譜、肖像画といったシンプルなものですが、250年タイムスリップしたような感覚になれます。そっち方面に興味があればそれなりに感慨に浸れると思います。

 館内の一室が演奏家のためのリハーサル室に開放されていて、自分の訪問時は、チェンバロとリコーダーという編成で若い演奏家がリハーサル中でした。あちらの木で内装された部屋っていい音で響きますなあ。

 見物後に裏庭で、ジンジャー・ベイカーみたいな顔したも物乞いに、「なー、何ペンスか恵んでくれないかなぁ」と話しかけられましたが、自分の未来のような気がしたので1ポンドあげました。わはは。

●繁華街のオックスフォード・ストリート、リージェント・ストリートやビートルズのアップル・ビル(空きビルになってました)のあるサヴィルも近いので、行きやすいです。お出かけの際はどうぞ。

 周辺の雰囲気はグーグル・マップでヴァーチャル体験できます。


大きな地図で見る

2009.06.03

旧レインボウ・シアターに行ってみる(含む番外編・旧アーセナル・スタジアムに行く)

●ロンドン滞在時、旧レインボウ・シアターを見てきました。

 Rainbow Theatre というと渋谷や新宿のようなところにあると勝手に妄想してましたが、あるのはロンドン中心部の北、地下鉄の路線エリアだとZone2のエリア。東京だと板橋区か北区って感じでしょうか。最寄りの Finsbury Park 駅のすぐそばにモスクがあり、イスラム系と覚しき人たちが目立ちます。
 Victoria Line のFinsbury Park 駅からすぐですが、私はちょっと離れた Arsenal 駅から散歩しながら行きました。

 Finsbury Park 駅から南西方面に歩いて行くとすぐ見えてきます。

Rainbow1

 現在の正面。

Rainbow2

 横側。

Rainbow3

 そんなに撮るところありません(苦笑)。

●この建物が The Astoria Theatre としてオープンしたのが1930年。The Rainbow Theatre になったのは1971年。現在ではブラジルに本拠を持つ宗教団体の建物になっていて一般人は入れません。当然外から眺めただけ。一応、重要建造物制度(Listed building)のグレードII*に認定されてます。

 1930年代の様子はこんな感じ。The Rainbow Theatre 時代の写真はこちらで見れます。

●ここで行われた公演というと、自分がすぐ思い出すのは、クラプトンの73年レインボウ・コンサート、傑作ライブ・アルバム Waiting For Columbus に音源が収録された77年のリトル・フィート公演あたりですが、上のリンク先のウィキペディアの該当ページを見ればわかるように他にも無数にあります。O.レディングの Live in London and Paris が収録(67年)されたのもAstoriaと呼ばれていた時代のここですね(過去ネタ)。

 ということで物好きには伝説的な場所です(たぶん)。



●以下、番外編。


 「レインボウ」にArsenal 駅から歩いていった理由は、「ハイバリー」と呼ばれたアーセナルFCの旧スタジアムが見たかったからでして。

 Piccadilly Line の Arsenal駅。周辺は、日本なら地下鉄駅があること自体不思議な閑静な住宅地。

Arsenal_station

 駅から東に歩くとすぐある駅側の入場口。工事中。真ん中あたりに旧西側スタンドが見えます。

Arsenal_entrance

 さらに歩いて右折してすぐ見えてくるスタジアム東スタンド(メイン・スタンド)。

Arsenal_east

 東スタンドの向かいの住宅。

Opposite_house

 こんなところにスタジアムがあるというのが日本の感覚からはあり得んですが。試合中は歓声・チャントの類がガンガン聞こえたはずで、住宅地として好環境なのか逆なのかさっぱりわからんです。

 観客席部分の名残です。

Stadium_current

 2006年に現地西よりのエミレーツ・スタジアムに本拠地が移転したので現在は改修中で、一般人は敷地内に入れません。旧ピッチ部分は庭園として改修し残すようです。

 完成予想図。

Stadium_plan

 スタジアムが現役だった頃の動画(05/06 チャンピオンズリーグ時のレアル・マドリー戦)。

2009.01.07

フェスティバルホール最後の日

9coral1_2●12月30日、今年で再築のため一時閉館する、大阪は中之島に50年立ち続けたフェスティバル・ホール最後のコンサートに行ってきました。

 曲は、年末の葵の御紋、ベートーヴェンの「第9」。演奏は、ザ・シンフォニー・ホールができる前はここが完全にホームグラウンドだった大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー合唱団他。指揮は大植英次。


●私の隣席に座った人が「フェスに来るの久しぶりやな」と話してましたが、ポピュラー系、クラシック系問わず、様々なホール・会場が出来て以来、このホールの相対的な地位が下がったのはやむを得ないところなのでしょう。解体を惜しむミュージシャン・聴衆がいる一方で、他に良いホールもあるし、次に出来る新フェスが良ければそれでいいじゃん、みたいなドライな意見もあるようです。

 とはいえ、この日はなんとなく漂う惜別ムード。開演前から、ホール前、入り口、ホール内で写真撮影してる人が非常に多かったです。

 当日は1階席で聴いてましたが、開演前に2階の上の方に上がってパチり。2階席としてはかなり高い感じでした。

Stage

●演奏ですが、正直なところ大植/大フィルの「第9」にはそれほど魅了されませんでした。フェス最後、というモニュメンタルな機会の演奏としてはちょっと物足りなかったかなと。ホールの響きも6月に聴いたときよりも、音が平板といいますか。合唱団用のひな壇が舞台後方に設置されていましたがそのせいでしょうか。まあ、ここで3回しか聴けなかったのでたいしたことは言えません。たった半年ほど前に初めてここに来たときの感想はこちらに書きました。
 このホールは2階席上方で聴く音が上々であったという声もありますが、残念ながらそれを味わうことはできずに閉館。

●「第9」終了後に指揮者の大植氏のスピーチに続いて、このホール開館時の非公開コンサートで演奏されたというエルガーの「威風堂々」第1番。主部で手拍子を煽る指揮者、反応の良いお客さん(笑)。逆に有名な中間部ではシーンとして、本場UK(ロイヤル・アルバート・ホール名物プロムス・ラスト・ライト)とは正反対。あれを日本人が英詩で唱いまくったら恐いですが。

 演奏後にはステージ上部から垂れ幕登場。ちょっとベタな演出ですが、まあ最後なので。

Encore

 もう、このあたりで会場中で写真撮影の嵐ですが、この日くらいは無礼講で場内係の人の注意もなし。

 ステージからオーケストラが退場し、客が帰り出し始める頃に、舞台から退場後ひそかに客席通路に紛れ込んでた合唱団メンバーによろ「蛍の光」。たった半年ほどのにわかフェス通い者でもちょっとジーンときましたが、何十年もここで聴いてきた方はどうだったでしょうか。

●新フェスティバルホールは2013年オープンとのこと。旧フェスは良かった、などど言われないよう良いホールを作ってくださいね。神様が許しくくれればまた来ます。

Hall

Thank50

 お疲れさんでした、フェスティバルホール。

2008.07.17

ロイヤル・フェスティバル・ホールでフィルハーモニア管弦楽団を聴く

 とりあえず気がすむまで書きます。

●旅行けば~、音楽関連の場所にフラフラ、フラフラと出没(というか、いつも音楽のための旅ですが)。

 ということで、ロンドンは、テムズ河のほとりに立つロイヤル・フェスティヴァル・ホール(以下、RFH)に行ってみました。初訪問。

Rfh1

 市内を蛇行するテムズ河の南岸(いわゆるサウスバンク地区)に立っていて、サウスバンク・センターという文化・芸術総合センターの一部をなしてます。

 クラシック音楽メインのホールですが、私の行った10日前に、YMOが28年振りのロンドン公演をここでやってます。

 上の写真はテムズの対岸から撮ったものですが、橋を渡ったところからの眺めはこんな感じ。1951年竣工なので見かけは地味です。ホールに入場する人は建物の上の方へ昇って行きます。

Rfh4

 ホール西側のエントランス脇に立つ、偉大なるネルソン・マンデラの像。

Mandela

●聴いたのは、マゼール指揮フィルハーモニア管弦楽団で、ブラームスの1番と2番。座席は Front Stalls と呼ばれる1階席E列(5列目)のほぼ正面。29ポンド。当たり前ですが現地で聴くと安いです。

Ticket 演奏は良かったです。特に2番。

 フィルハーモニア管は弦も管も素晴らしいですね。日本公演の時より気合い入ってるような。気のせいでしょうけど(笑)。
 1st Vn の次席がアジア系の人だったのでメンバー表みたら、マヤ・イワブチさんという日本人(日系英国人?)の方でした。

 余談ですが、ビートルズのリヴォルバーに入ってる For No One という曲でホルンのソロを吹いてるアラン・シヴィル(1929-1989)は、このオーケストラの主席奏者でした。

●ホール内の写真も撮りたかったのですが、NYで2回怒られたのでチキンな私は諦めました。その代わり、イタリア系かスペイン系と思われるグループがホール内で記念撮影するシャッター押しのお手伝い(トホホ)・・・

 ホール内部はこんな感じです。バック・ステージの席から見るとこんな感じ
 シンプルですが、落ち着いて音楽に浸れます。

 オーケストラ公演の前方席は好きでないのですが、1階前方からすぐに傾斜が付いてるので、E列だと、視線が弦楽奏者の膝くらいの高さになり結構聴きやすい席でした。

●これは、エントランスのガラス扉に書いてある文字です。

Proud

 「サウスバンク・センターは、ロンドン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン・シンフォニエッタ、オーケストラ・オブ・エイジ・オブ・エンライトメントの本拠であることを誇りに思います」って、ちょっと気障ですが。冒頭Sの文字が消えかかってるのはご愛敬。

●ここは美しいコンサート会場というだけでなく、「ホール周り」の雰囲気がなかなか良いです。

Rfh3

 1階部分のテムズ河側が、居酒屋兼カフェ兼レストランみたいな感じで、コンサートに来た人たち以外も含めワイワイ、ガヤガヤ。

 その一部がCDショップ。MDC CLASSIC MUSIC という小さなお店ですが、なかなか在庫揃えが渋いです。リンク先に写ってる店舗がまさに、RFHにある店です。開演前の暇つぶしにうっかりタルコフスキーのDVD1枚散財。コンサート中はタルコフスキーを膝に於いてブラームス・・・

 これは2階のテラス。これは昼の写真ですが、開演前は人でいっぱいになります。

Terrace

●なお、RFH は、英国でグレード1(= buildings of outstanding or national architectural or historic interest)の Listed building の認定(国家的、歴史的に重要性の認められた建築・建造物の認定制度)を受けてます。第二次大戦後に建造された建築物としては唯一 の Listed building だそうです。大切にしてるんですね。

 RFH に遅れること7年の1958年に竣工した大阪フェスティバル・ホールは50年で解体。RFH は、たぶん今から50年後もここに立っていることでしょう。

 ちなみに、フィルハーモニア管弦楽団は年末に来日し、解体前の大阪フェスティバルホールで1公演やります。行きましょうか(笑)

●お土産は、マグカップが12ポンドとかあり得ない価格だったので、RFHの50周年に作られた2ポンドの小冊子。ホールの計画・着工からこけら落としまでの解説冊子で、値段の割に内容濃いです。

Book

 また来たいです。

 でした。

2008.06.13

大阪フェスティバルホールに行く

●残念ながら今年での閉館が決まった大阪フェスティバル・ホールに先日行ってきました。

 関西エリアに在住の方には存在することが当たり前のホールなのでしょうが、生まれてこのかたずーっと関東者の私は、遅すぎた初体験でありました。

Festivalhall1

 聴いたのは1958年から続いている大阪国際フェスティバル(今年がちょうど50回)の公演の一つ、大植英次指揮大阪フィル。曲は、モーツァルトの「リンツ」とマーラーの「巨人」(6月7日)。

●このホールの響きについては、昔から非常に評価が高かったわけで大変楽しみにしてました。

 果たして、素晴らしいホールでした。東京のサントリーホールのような間接音豊かな柔らかい響きと比べるとむしろデッドな響きですが、余計な+も-もしない楽器本来の素の音の素晴らしさが聴けるホールでありました。混濁のないクリアな音が遠い席にもすーっと伸びて聞こえてくるのは快感です。特に中低域の抜けの良い音は素晴らしい。

Festivalhall4

●基本的にクラシック音楽用に作られたホールですが、ご存じのように、ロック系でも名公演の現場になってきたこのホール。あまりにも有名すぎる76年ニール・ヤング初来日公演のオーディエンス・ソースのエクセレントな音質は、録音された方のスキルもさることながら、このホールの素性の良さの証でしょう。

 75年のクラプトンの大阪公演の聴きやすい音源が残ってますが、クラプトン自身、75年来日時のインタビューでこんなことを言ってます。


インタビューアー:あの会場(大阪フェスティバル・ホール)のどこに座っても、音のバランスは完璧でしたよ。

EC:それは僕にもわかったよ。女の子達がソロで歌う時、僕はうしろの方にさがっていたんだけど、それでもハッキリ聴こえたからね。多分、昨日のホールは特別にいい会場だったんだろうね。
(THE DIG 33号に再録されたミュージック・ライフ誌75年12月号のインタビュー)


 ということです(笑)。ツェッペリンの71年初来日公演の会場もここですね。フェスティバルホールで、Zep、ニール、ECを生で聴けた方々は幸せですね。

●冒頭にも書いたように、このホールはエリアの再開発による取り壊しが決定しています。このホールを愛する山下達郎氏は、「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です!」と語っているそうですが(Wikipedeia、「フェスティバルホール」より)、この名ホールはわずか50年でその歴史を終えることになります。

 asahi.comの再開発計画についての記事によると、このエリアには2本のタワーが建ち、新たなホールが作られます。古ぼけたホールの保存に優先する大人の事情があるということなのでしょう。新ホールのイメージ図を見ても虚しい限りです。

 私が大富豪なら買い取って、どこかに移築しますが・・・虚しい妄想です(笑)。

Festivalhall2

 でした。

2008.03.11

ダコタに行く

●私をロックンロールの道に引きずりこんだのは、少年の時に聴いたアマチュアバンドの演奏する「ヘルプ」なわけでして。ビートルズにはずぶずぶにはまりました。NYに行く機会があれば、ここを訪れようと漠然と思ってました。

●セントラル・パーク西側を南北に走る Central Park West 通りとW 72nd ストリートの交差する地点にダコタはありました。

Dakota1_2

 ダコタは、かつてジョンが住んでいたこと、27年前に起きたおぞましいことなど思い出しようがないくらい静かに佇んでおりました。
 トボトボとたどり着いた私は、道を挟んだ向かいから眺めてみたり、エントランスまで近づいてみたり、セントラル・パーク側から眺めてみたり・・・
 静かなままでした。たぶん、ジョンが暮らしていた頃も、同じように静かなところだったんでしょう。

Dakota_entrance

 お約束で、セントラル・パーク内のストロベリー・フィールズに寄ってから、帰りました。

Dakota_imagine

 セントラル・パークから振り返って見たダコタはたいそう美しかったのでありました。

Dakota_long

●平日、日中の巨大な公園は、人気もなく、大変静かでありました。芝が養生中で立ち入り禁止のせいもありますが(笑)。冬のNYは、東京では味わったことがないような冷たい風が吹いてました。

Dakota_cp

 以上、おっさんダコタに行く、でした。

2008.03.06

マディソン・スクエア・ガーデンを探検してみる

●「探検」というほどではないですが。

Msg_guide_save コンサートに行くだけでなく、MSGのガイドツアーにも参加してみました。正規料金17ドルですが、ホテルにあるディスカウントカード(左)を持参すると、3ドル割引になります。

 WaMu Theater (旧Garden Theater。コンサートの他、NBAのドラフト等も行われるそうです)を見て天井の低さに驚いたり、普段は入れないVIPルームに入ったり、ニューヨーク・レンジャーズのロッカールームを見物してグレツキーが使ってたというロッカーを見たり。

 VIP席はステージ正面の最上階にあり、そこからの視界はこんな感じです。

Msg_vip

●MSGで録音されたディスクが壁に飾られているところがあり、クラプトンだとクロスロード・コンサートのDVDが飾られていたのですが、こんな物まで飾られていました。

Msg_ecboot

 ちょっと、あんたそれブートだろ(爆笑)。これを見て笑っていたのはガイドツアー参加者15人程のうち、私と知人の約2名だけでしたが・・・・

●内部は、アリーナの他、座席区分が上階に向けて5層(2桁、100、200、300、400番台まで)に伸びるバカでかいアリーナで、上部にはエスカレータで上がれます。

 赤い席が2桁レベル(例.50)、青い席の前半分が100レベル、後ろ半分が200レベル、緑の席が300レベル、その上の階が400レベルです。

Msg_seatlevel

 300レベルからの実際の視界はこんな感じです。

Msg_300level

 各ブロックからの視野は、MSGの公式サイトで、ヴァーチャル体験できて、なかなか面白いです。

 こちらは、チケット売り場。ここから左右に分かれチケットを見せて入場します。

Msg_boxoffice

 こちらは、チケット売り場に行く途中にある、エントランスのような所。コンサート当日はここがセキュリティーゲートになります(非イベント時もセキュリティーの人が常駐。写真右あたり)。中央(青いネオンのあたり)は WaMu シアターの入り口で、アリーナへ行くときはそちらに行かず、その左右を通って入場します。その途中にグッズ売り場。

Msg_concertgate

●公演中は、アメリカでのコンサートのオーディエンス録音で散々味わっている客のチャットも実体験しました。それと演奏中の徘徊。ほんとにそこら中で歩き回ってます。もうアホかと。

 一番仰天したのが、演奏中、ビール売りが場内を巡回してること。自分のそばで売買がなされようもんならもう悲惨(笑)。闇の中で銭のやりとりが5分くらい続いたり・・・ あんたら、野球場で野球みてるんじゃないんだから。それでエエんかい?

 カーネギーホールで行われたクラシックのコンサートにも行きましたが、どうも日本やヨーロッパの聴衆に比べると、音楽ジャンルを問わず、演奏中の集中力が足りんのでないか、というのが正直な感想です。

 反面、素晴らしいと思ったのが場内の一体感、ステージ最前列の人も、上階後方の人も、同じように大盛り上がり。日本でよく見かける、アリーナの人総立ち、2階の人「どうせ俺たちは2階だよ、フン!」的シラ~っ感がない。これは素晴らしいと思いました。

●MSGの地下はマンハッタン屈指のターミナル駅であるペン・ステーション(Pennsylvania Station)。これも面白いといえば面白いです。下写真は ペン・ステーションからのMSGへの進路。

Msg_from_penn

 まあ、大袈裟に言うとカルチャーショックを味わいましたが、興味深く観察させていただきましたです、はい。

Msg_gaden

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