UNCUT誌8月号のクラプトン・インタビュー
●UNCUT誌の2014年8月号にクラプトンへのインタビュー記事が載っていて、とても面白いので紹介します。自分は身の周りに物が増えていくことに対する嫌悪感がじわじわ広がっているので電子版で買いました。本は紙で読む方が好きなんですけど。
●最近のクラプトンの話題と言えば、一つはもうツアーを止めるんじゃないかということ。これは日本ツアーの時にもすでに話題になっていて、ツアーパンフにも彼自身のそのような言葉が載ってたのは多くの人が知っていると思います。もう一つは、近年のアルバムが古い楽曲のカバー・アルバムになってきているということ。どちらについても、結構語ってます。
●まず引退について。
やりたいことは山ほどあるけど、引退ということも視野に入れている。来年は70歳。JJは賢明にそうしたけど、彼は70になったら自分の中では(unofficially)引退だと言ってた。無理のない範囲でレコーディングは続けていきたいけど、どこに行くにも時間がかり、人質になるみたいなツアーは、耐えられず、億劫になってきた。空港を往復し、飛行機にのったり、車で移動したりで。他人にずけずけと自分の生活を乱されたくないという気持ちが強くなりすぎたんだ。昔はそういうのも楽しかった。旅は楽しみだったし、色んな風景を観るのも楽しかった。新たに人と会って、違うカルチャーに触れたりするのもね。でも今はカルチャーはグローバルになってしまった。どれも皆アメリカの別バージョンなのは残念で退屈だね。インターネットのお陰で生活は捗ったけど、別のところに身体で移動するということが機能しにくくなってる。10年もすると、家から出てどこか別の所へ行くなんて出来なくなるんじゃないの。
家から人が出なくなるとかはさすがに極論だと思いますが。自分が面倒になってきたことを語っているうちに、イヤイヤ感情がますます膨らんできていらんことまで口にするといいますか。あんた言い過ぎだ(笑)。
それはともかく、上のような感覚というのは誰しも加齢にともなって共通して抱くようになるものだと思うわけです。刺激や好奇心よりも、自分にとって本当に必要な最小限の人や物に囲まれて暮らしたいみたいな。ストーンズみたいな勢力旺盛な人たちもいますけどね。インタビュー中で、自分の代名詞みたいな曲をさらに作りたいとは思わない。他の有名な曲と同じくらい気に入ってるのはレプタイルに入ってて、妻のことを歌ってる Believe In Life。控えめで、表に出ない小さな感じが好きだ、と語ってますけど、そういう小市民志向とツアーを嫌う感覚というのは裏腹なんでしょう。「アルバムのために何かツアーをするとかは考えてない。80年代みたいにアルバム作ってツアーなんてことをする可能性もあるかもしれないけど苦痛でしかないだろう」とも言ってるので、大規模なツアーがなくなるのは間違いないんでしょうね。
むしろ、気になったのは、
(ステージでギター渡されたらやってみたくなる)Tell The Truth、Pretending、Sheriffみたいな曲は、古い肘掛け椅子みたいなもの。レコードではいい感じでも必ずしもステージ映えしない曲を仕上げるのは骨が折れる作業なんだよ。わかってるだろうけど、働きたくないんだよ。
みたいな発言なんですね。こういうのってヘタすると創造性の枯渇、陳腐化になりかねないので。「働きたくない」って、あなたねえ。
まあ、70歳なんて定年年齢ですから仕方ないんでしょうけど。例えばコンサートのセットにしてもEC1人に決めさせたら刺激に乏しいルーティーンになってしまうのは、近年散々見てきたわけで。出来るだけ楽してもいいから、ドイル・ブラムホールみたいな若旦那を置いておいてですねえ、ある程度自分を刺激する部分を残して置かないとダメになりますよ。まだまだ Breeze みたいな作品を集中して作ってしまうエネルギーはあるようですけど。
●もう一つ、アルバムにカバー曲が増えてることについて。上にも書きましたが、「自分の代名詞みたいな曲(killer song)をさらに作りたいとは思わない」とはっきり言い切ってるわけですね。過去の曲について、こんなこと言ってます。
自分も最初は「丘の上の人」とか「枯葉」みたいな曲から始めて、そういう曲は脳みその一部みたいになってしまってるんだけど、そういう昔の曲の自分のバージョンなんてブルース・バージョンにしかならないだろうって、いつも思ってる。どうやってプレイしたらいいかわからないし、かっこいいバージョンを仕上げてやろうとも思わない。ロバート・ジョンソンが「ブルー・ムーン」をどんな風に歌うか聴けたらと思うよ。どういうことか分かる? 自分のカバーなんて、視野の狭い(ignorant)ブルース・バージョンでしかないんだ。それが好きなんだけどね。前にボブがビング・クロスビーの古い曲を彼が自分流にやった(rewrite)アルバムを聴いたんだけど、コード進行はその曲固有の(identical)ものであることに変わりはないんだ!と 思ったね。「何がしたいか分かったよ。過去に戻ろうとしてるんだろ」って。どんどん過去に戻って、戻って、パーセルやヘンデル、ヴィヴァルディの頃にまで戻ってみれば、自分の流儀や解釈のヒントが見つかるだろうって。でも、いざそうやってみたら、自分の価値を判断されることから逃げるために、たぶんメッセンジャー的な役割を果たそうとするんじゃないかな(笑)。僕を責めないで、自分はただのメッセンジャーだから。僕の価値なんて判断しなくていいから、コピーしてるだけだからそれを聴いてくれ、って。逃げてると思うだろうけど。
カバー曲をやる理由というより、過去曲をカバーする難しさを語っているわけですが、この後に「曲を作るより、過去の音楽をきちんと解釈する方が難しい」と言ってるので、じゃあカバーをやるのはなぜよ、と思う人もいるでしょう。ただ、ボブ・ディランもそうですが、老境に入るにつれ、過去の音楽の枠の中に入って自己表現したい欲求って、やはりあるんでしょう。猪突猛進する中から新しい物を生み出す気力よりも、すでに形としてある様式のきちんとした物の中で簡潔な自己表現をしたい欲求とでも言うんでしょうか。自分はボブやECの近作にも魅せられてる人間ですが、ロックに若い人間の猛進するパワーみたいなイメージしか持たない人はそういうのは理解しにくいと思いますね。無理に理解しなくていいいですけど(笑)
メッセンジャー云々、というのはECがカバー曲やるときはあまりオリジナルをいじらないこと(古典ブルース曲集 From The Cradle ですらそうだったです)を思い出すと率直な本音なのかなとも思います。
●最後に、あと一つだけ触れると、手本にしたくなるようなギタリストはいますかの質問には、カート・ローゼンウィンケルと答えてます。「ジャズギター・プレイヤーで、流れるようなプレイをする。本当に天才だよ。人間的にも良いし。耳で聴いたことを頭で受け止めてダイレクトに反応してプレイできる。自分はそんな風にはできない。古ぼけた同じ文法(phraseology)に従ってやるか、前もって準備しないと対応できない。本当のジャズ・ミュージシャンで、敬意に値する」と言ってます。ローゼンウィンケルは去年のCGFにも出演していて、DVDではオープニングのバックに彼のギターが流れてますが、ECの敬意の現れなのかもしれません。
●その他にも色々興味深いことを語っているのですが、私も気力がなくなってるので興味のある人は買って読んでください。面白いので、そのうち日本の雑誌に翻訳でも出るのではないですか。
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