サンフランシスコ、ウィンターランドのあった場所
●何度か書いてる音楽の旧跡訪問ネタ。今回はサンフランシスコのウィンターランドです。
現在のウィンターランド跡地。今は賃貸マンションが建っています。サンフランシスコ市街地の中心みたいなユニオン・スクエアからバスで西に向かって15分くらいのところ。
マンション名は 2000 POST で公式サイトもあります。見る限りかなりお高いマンションという感じです。POSTというのは面している通りの名前です。ウィンターランドありし頃は、写真の右手前、角の出窓のところに「WINTERLAND」というネオンタワーがありました。
●ウインターランドはもちろん、60年代後半から70年代後半にかけて、サンフランシスコのロック・シーンを飾った最強会場の一つ。ザ・バンドのファンには「ラスト・ワルツ」の会場としてお馴染み(ザ・バンドとしての最初のコンサート会場もここですが)。
映画「ラスト・ワルツ」は、アンコール曲だった Don't Do It の演奏シーンで始まり、その後に例の「ラスト・ワルツのテーマ」が始まってウィンターランド周辺の風景が映るのですが、映画で見たときの街並みの印象は一言で言えばものすごい場末感。道端にいる人もアヤシイし、1人では歩きたくないような負のオーラが出まくってるような感じでした。
上のようなマンションが建つに相応しい場所にはまったく見えません。
●ウィンターランド跡地の目と鼻の先には、旧フィルモア(現在は Live Nation が買い取り The Fillmore という名称のライブ会場になってます)があるのですが、ビル・グレアムがフィルモアをそこからもっと東、サンフランシスコの中心街に近い(オペラハウスや庁舎の並ぶ)Van Ness通り移した理由に、周辺の治安の悪化があったということですから、「ラスト・ワルツ」で見れたあの殺伐とした風景は、たぶん当時の雰囲気そのままなのかなという気がします(もっとも、フィルモア・ウェスト移転後もウィンターランドは残ったわけですが)。
●ところが、2011年の今、実際に周辺を歩いてみると、そのようなヤバげな雰囲気はあまり感じられません。
映画「ラスト・ワルツ」のワンシーンに出てくる車を解体してる人たち。こういうとこ歩きたくありません(笑)
現在のPost通り。背後に見える建物は違いますが同じあたり?殺伐とした空き地はテニスコートのある公園みたいになってます。
●「ラストワルツ」の1シーン。見るからに怪しいヤバげな街の風景。
このシーンは、映画をよく見ると Divisaderoという通りを右折したところだと分かりますが、仮にここがPost通りに曲がる交差点だとすると、直進した左側にウィンターランドがありました。スコセッシが、ウィンターランドから少し離れたこんな街のシーンを挿入した意図は何なのでしょうか・・・(上の「車解体シーン」もそうですが)
●これも「ラスト・ワルツ」の1シーン。Post通りの一本北側にあるSutter通りから見たウィンターランドです。下の写真が、ほぼ同じ方向から見た現在の様子。ちょっと分かりにくいですが右隣に建ってる建物は同じですね。真ん中あたりに見える白い消火栓は今も残ってるのがわかります。
●入場待ちのお客さんを撮った下のシーンは、上のSutter通りをちょうど逆方向に進む車から撮影してます。白い消火栓が目印。こうしてみると、映画のシーンは、車の進行通りに時系列で編集してるわけではないことが分かります。
映画ではここを右折していきますが、この位置を右折せずに直進していくと、出演ミュージシャン達が泊まっていた「ミヤコホテル」があります。写真左の高い建物がそれ(もっとも今は「ミヤコホテル」という名称ではありません)。
街中に日の丸が見えますが、この辺は日本人街です。
●ウィンターランドに出演したミュージシャンは無数で、ほぼロックの歴史そのもの。
60年代にはクリーム(ライブ録音あり)やジミ・ヘンドリックス(最近68年のウィンターランド連続公演のボックスが出ました)もプレイした会場ですし、グレイトフル・デッドが74年に5日連続公演を行った時の模様は映画The Grateful Dead Movieでも見れます(演奏も素晴らしいですが、当時のコンサートの雰囲気もよく分かります)。
グレイトフル・デッドはこの会場の最後の出演者で、78年12月31日の最後の公演の様子は The Closing of Winterland のDVDで見ることが出来ます。
(最近在庫ないみたいですが、そのうちブルーレイで出るでしょう。ビデオ画像で画質いまいち悪いですが面白いし、デッドの演奏スタイルが4年間でかなり変化してるのも興味深いです)
●ウィンターランドの歴史については、著名なニール・ヤング・サイト Thrasher's Wheat内に Winterland Stories という素晴らしいページがあり(なぜかThrasher's Wheatのtopページからは行けない)、この劇場についてかなり詳細な情報が見れるばかりか、Winterland Photos のところで、取り壊し前中後の貴重な写真をたくさん見ることができます。
●フィルモア・ウェストが71年に閉鎖されてからも7年続いたウィンターランドについて、故ビル・グレアムはこんな風に語ってます。
「あそこはほんとうに最高だった。わたしにとっては、オリジナルのフィルモア以上とは言わないまでも、それと同じくらいすばらしい小屋だった。もしかしたら、印象に残るコンサートの数は、フィルモアよりも多かったかもしれない」(「ロックを創った男」718頁)
ビルには、サンフランシスコでのもう一つの会場フィルモア・ウェストがあったわけですが、フィルモア・ウェスト最後のドキュメンタリー映画 Fillmore: The Last Daysは、出演者との交渉のゴタゴタばかりが目立つ愉快でない作品でした(一番揉めてるボズ・スキャッグスの出演場面に至ってはDVD発売時にカットされてしまいした)。そんなことも、ウィンターランドに対する良いノスタルジーを強める理由なのかもしれません。
ウィンターランド閉鎖の理由は、上のビルの自伝によると、老朽化による補修費用を捻出できなかったという単純な理由のようです。
●ここで演奏された最後の曲は We Bid You Goodnight で、もちろんグレイトフル・デッド。The Closing of Winterland (CDも出てます)で、ビル・グレアムの感動的なスピーチと一緒に聞くことができます。
(The Closing of Winterland DVD収録のスチル写真より)
●フィルモア・ウェストの跡地にも行ったのですが。そちらは何の感慨もわきませんでした。時間があればそのうち。
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ウィンターランドは未踏の地ですが、旧フィルモアではライヴを体験したことがあります。といっても、80年代の話ですが・・・
前後の状況から思い返してみるに、1988年8月29日月曜日の早朝、サンフランシスコ空港に降り立ちました。初めてのアメリカ旅行でした。
宿を取ったあと、何でもいいからライヴを観たいということで、地元の情報誌や、タワレコでピックアップしたフリーペーパー『BAM』を当たったところ、当夜フィルモアに新進女性歌手、トニ・チャイルズ(Toni Childs)が出演すると知りました。1stアルバムからのシングル、Don't Walk Awayが日本でもプッシュされていて、MTVでもそこそこオンエアされていたので、YouTubeで検索すれば、ああ、あの曲か、と思い当たられる方もいらっしゃるかと思います。いかにも80年代的な押しの強い曲調。
フィルモアなんてとっくの昔に閉鎖されたと思っていたので、告知を見たときは驚きました。聞けば、同じ場所、同じ建物を使って、80年代に営業再開したとのこと。会場周辺は寂れた感じがまだ残っていました。当時はLive Nationsではなくて、ビル・グレアムが再度経営に携わっていたとか。
当日券の行列に並んでいるあいだ、隣り合わせた黒髪の綺麗な女性と言葉を交わしたのを覚えています。最近印象に残ったPV、トレーシー・チャップマンのFast Carについてなど・・・ああ80年代。
初めて足を踏み入れたフィルモア。大阪で言えば、IMPホールかなんばHATCHぐらいの大きさ。1階フロアーは立見、2階バルコニーは椅子付き、キャパは1500〜2000というところでしょうか。2階席の後ろはカフェ兼軽食堂になっていて、壁には60年代半ば〜70年代初めのオリジナル・ポスターがずらりと貼られていました。おおっ、と思いつつ、丸テーブルに腰を降ろしたところ、テーブルを覆うガラス板を通して、クリームやヘンドリックスのチケット半券が並べられているのが見えて、息が止まりそうになりました。自分は伝説のまっただ中にいるのだ、という思いがしました。
トニ・チャイルズのライヴそのものは、大して覚えていません。Don't Walk Awayで、会場スタッフらしき黒人のおじさんがステージに引っぱり出されて、えらくノリのいい踊りを披露してくれたことぐらい。彼女もいつのまにか「消えたアーティスト」「あの人は今」の仲間入りをしてしまいましたね。一度も来日しなかったと思います。その後どうなったんだろう・・・。
移転後、フィルモア・ウェストと改名した会場跡地ですが、私が傍を通ったときは確かホンダのディーラーが店を構えていました。satoさんも書かれているとおり、立地周辺からは何の感興も湧いてきませんでした。旧フィルモアこそが伝説の重みを担っているのだと感じます。
投稿: ブルー爺 | 2011.11.06 02:00