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2011.11.06

フィルモア・ウェストのあった場所を見る

●以前にフィルモア・イーストの跡地に行ったときのことを書きましたが、西のフィルモアであったサンフランシスコ、フィルモア・ウェストの跡地訪問記も書いておきます。

 今現在のフィルモア・ウェスト跡です。Van Ness通りとMarket通りというサンフランシスコではどちらも大きな通りの交差点に建ってます。

Fw2

 かつてロックの一つのメッカだったような雰囲気はなし。フィルモア・イーストの跡に行った時のような感慨は何もありませんでした。地元のほとんどの人には Honda のオフィスでしかないでしょう。

 これは映画「フィルモア最後の日」のワンシーン。

Fillmorelast

 こちらで昔の写真が見れます。最初の写真と似てもにつきませんが、「フィルモア最後の日」の画像と比べても、この写真はフィルモア・ウェストのかなり初期のように思えます(旧名称の Carousel BallroomとFillmore の表示が併存してます)

 ちなみに下の写真は、ここから7ブロック西のFillmore通りに面してる現在の The Fillmore で、昔は The Fillmore Auditorium でした。

Thefillmore

 Fillmore West だの The Fillmore だの The Fillmore Auditorium だの紛らわしいので、ちょっと整理しておきます。

●元々アングラ演劇集団の活動に関わり、チャリティ・コンサートなどを基に活動資金の援助もしていたビル・グレアムは、援助活動と離れて、コンサート・ビジネスをするようになります。その拠点が(文字通りフィルモア通りにあった)「フィルモア・オーディトリアム」(The Fillmore Auditorium)でした。最初の商業公演は、1966年2月に開かれたジェファーソン・エアプレイン公演ということです。

 その2年半後に、ビルは自らのサンフランシスコでのコンサート・ビジネスの中心を、「フィルモア・オーディトリアム」から、後に「フィルモア・ウェスト」と呼ばれることになる「カルーセル・ボールルーム」(Carousel Ballroom)に移します。1968年7月のこと。

 一般に「フィルモア・ウェスト」というと後者を指すわけで、アリサ・フランクリンの有名なライブ盤 Aretha Live at Fillmore West(71年2月)やグレイトフル・デッドのLive Dead(69年2月、3月)は新フィルモアでの録音です(Live Dead は一部別会場)。「カルーセル・ボールルーム」時代にもロック公演は開かれていて、68年2月のグレイトフル・デッドのライブ録音は公式に発売されてます。

●「フィルモア・ウェスト」の最後が71年7月なので、ビル・グレアムのフィルモアでの活動は、旧フィルモアが2年半、新フィルモアが3年の計5年半だったいうことになります(ちなみにNYの「フィルモア・イースト」の活動は68年3月から71年6月と3年ちょっと)。前回書いた、同じグレアムのサンフランシスコでの活動のメイン会場だったウィンターランドは78年まで続いてます。

●旧フィルモア(The Fillmore Auditorium)は、「フィルモア・ウェスト」のオープン後もクラブとして存続し、80年代にはパンク・ニューウェイブ系バンドのショーが多く開かれていたということです。グレアムは80年代に旧フィルモアでの活動を再開したものの、旧フィルモアは89年のサンフランシスコ地震のダメージにより閉鎖。修復工事を経て94年に再オープンし、現在では Live Nation が The Fillmore として運営しています。ビル・グレアムは残念ながら91年にヘリコプターの事故で亡くなってます。

●現在の The Fillmore でのライブ音源もいくつかあると思いますが、自分の手元にあるのはロス・ロボスが2004年にやったライブのDVD

 その中に、バックステージの模様を収録したドキュメンタリーが入っていて、ロス・ロボスのメンバー達が泊まったミヤコホテル(現在はホテル・カブキ)の上層階からの眺望シーンが入ってました(今回見るまで気づきませんでした)。

Miyakoview_2

 写真中の黄色の2つの○は、左の○が旧フィルモア(かつての The Fillmore Auditorium で、現在の The Fillmore)、右の○がウィンターランド跡地です。かなり近いのが分かると思います。

●最初に、「フィルモア・ウェスト」跡は雰囲気ゼロと書きましたが、周囲もちょっとあやしい人たちがうろついてます。道挟んで向かいにはCHASE銀行の店舗がありましたが、入り口のところに民間の警備員ではなくリアル警官2人が警備してたのには驚きました。ガイドブック等には、このあたりから東側にかけてはサンフランシスコ市街地でも治安の悪いエリアと書かれてます。

 でも、一番最初の写真の撮影地点の後方(北)に5分も歩くとサンフランシスコ交響楽団の本拠地「デイヴィス・シンフォニー・ホール」があるし、その隣はサンフランシスコ歌劇場です(下写真。サンフランシスコ講和条約が調印された場所。「ラスト・ワルツ」の舞台セットは、ここの「椿姫」用の舞台セットを借りた)

Sfopera

 と、一応「立派な」エリアも近いんですけど。シンフォニーホール周辺は、コンサート開演前、終演後に客目当てに物乞いしてる人がいたりと、どうもあやしい。緊張感なしには歩けない、というのが正直な印象でした。道一本違うとコロっと雰囲気が変わったりするのですが。40年前はどうだったのでしょう。

●以上、よそ者的な勝手な思い入れで街を見物してるなという気はするのですが、映画監督のヴィム・ヴェンダースは映画「東京画」で、すでにありはしない小津安二郎の映画の面影を求めて東京を彷徨いながらパチンコ店を撮影してました(笑)。別に東京の住人は普段歩きながら小津のことなど考えはしないでしょう。

 異国人の思い入れはそういうものということで、お許しを。

 お目直しに、2004年 The Fillmore でのロス・ロボスをどうぞ。


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コメント

5日深夜、12時を回ってからウィンターランドへのレスを投稿したら、同じ頃合でUPされたと思しきフィルモア・ウェストについての書込みが出てきてアチャー(笑)。前回の投稿は内容からいってこっちにしたほうががよかったかも。

旧フィルモアとウィンターランドがそんなに近かったとは知りませんでした。知ってたら足を延ばしたのに。

ついでと言うことで、ひとつ興味深いネタを提供しときます。
Wheels Of Fireの"Live At The Fillmore"ですが、実はToad以外はすべてウィンターランドでの収録だったというのが現在の定説になっています。ところが数年前、この間のサンフランシスコでのライヴ(通例、68/3/7フィルモア、3/8-10ウィンターランドとされる)にすべて通った人が長文の回想をネットに寄せ、3/10は当初ウィンターランドで行われる予定で、ポスター/チラシ/チケットにもそうあるが、なんらかの理由で直前になってフィルモアに変更されたと言うのです。
この報告(残念ながらURLは紛失しました)は大した反響も呼ばず、議論や考察もそれ以上深まりませんでしたが、当人の主張を裏付けるかのように、ライヴの行われる週にバークリーのレコード店、Discount Records inc.が出した販促広告に、クリームのアルバム写真と並べ、"This Weekend at Bill Graham's Fillmore Auditorium: THE CREAM"、その下に"THURSDAY&SUNDAY・MARCH 7&10 AT THE FILLMORE, FRIDAY&SATURDAY・MARCH 8&9 AT WINTERLAND"と告知されているのが見つかっています。
本当だとすれば、3/10録音のCrossroadsとSpoonful(以上Wheels Of Fire収録)、N.S.U.とSweet Wine(以上Live Cream収録)、Tales Of Brave Ulysses(同Vol.2収録)の各ライヴ・トラックは、結局やはりフィルモアでの収録だったことになります。

時間のある週末までお返事遅れました。電車の中からちょいと書くにはネタ濃すぎ。

知らないネタでした。さすが。

定説の一次資料になったのはこの2枚のポスターなのでしょうね。
http://www.classicposters.com/Cream/poster/Bill_Graham/109
http://www.classicposters.com/Cream/poster/Bill_Graham/110

定説の日程
2/29 Winterland
3/1 Winterland
3/2 Winterland
3/3 Fillmore Auditorium
3/7 Fillmore Auditorium
3/8 Winterland
3/9 Winterland
3/10 Winterland

著名なサイトを見るとたしかに定説で書かれてます
slowhand tourography
http://www.ectours.de/cgi-bin/frame.pl?file=ec1968.shtml

Wolfgang Vaultで公開されてる3/10音源の表記もウィンターランド
http://www.wolfgangsvault.com/cream/concerts/winterland-march-10-1968-early-show.html

ビル・グレアム自伝でも、クリームは「ウィンターランド4日間と、フィルモアに2日間出演させた」とビル自身語ってます(フィルモアの日数は定説と合致。ただしウィンターランドは定説だと4日間でなく計6日)。

ロバーティのレコーディング・セッションも定説。ただし、ヴィジュアル・ドキュメンタリーは全部ウィンターランドになってる(笑)。

クリームの4CD Box、Those were the daysのデータも、
3/7がフィルモア、8-10がウィンターランドで定説通り。
(最初の見開き対向で、Toadが7&8フィルモアとあるが、後頁の詳細データは7フィルモアになってるのが謎。前者が誤記?)

3/4-6が空いてますが何してたんでしょうね。
ちなみに、カルーセル・ボールルームで3/8にセロニアス・モンクとDr.ジョン。すごい時代。

>その下に"THURSDAY&SUNDAY・MARCH 7&10 AT THE FILLMORE, FRIDAY&SATURDAY・MARCH 8&9 AT WINTERLAND"と告知されているのが見つかっています。

新説では3/10がフィルモアに変更、ですが、こちらを見ると少なくとも8日はフィルモアになってます。
http://www.sfmuseum.org/hist1/rock.html

ますますわからんです。実際に体験した人の発言が正しいのでしょうけど。

チケット売り出し後の変更と思われますが、ウィンターランドに来た客に「ごめん今日フィルモアになったから」と行っても、近いから「あっそう」ですんだのでしょう。

でもウィンターランドとフィルモアのキャパは2倍以上違います。急な変更で混乱はなかったのでしょうか。

老後の暇つぶしには良いネタです(笑)

粘着ネタに粘着レス、どうもです(笑)。

件の記事を見つけました。
http://www.billystapleton.com/RompWithCream.html

筆者、ビリー・ステープルトン氏の回想記を要約すると、次のようになります。

(1)1968年当時19歳だったビリーは、地元の大学に通う傍ら、Music Cityという楽器屋でバイトしていた。Music Cityはシスコで公演する多くのミュージシャンに器材を貸し出していた。その関係で、3月7〜10日、クリームのフィルモア、ウィンターランド4公演のバックステージにはすべて居合わせることができた。
(2)3月10日の最終公演がウィンターランドからフィルモアに変更になった理由を「会場の賃貸料に問題があったらしい(Rent at Winterland was most likely the issue)」と説明している(私の想像ですが、最終日で帳尻合わせをしたんじゃないでしょうか。2/29−3/3の前半日程と合わせると全部で8公演、うち6公演はキャパ5000の大会場だったので、チケットも全部は捌けてなかったのかもしれません。フィルモアだって無理やり詰め込んだら3000人は入るそうですから)。
(3)3月10日午後、ウィンターランドからフィルモアへ器材を搬出する段になって、輸送用トラックが金門橋の交通渋滞に巻き込まれてやってこず、仕方なくその場にあった台車に器材を載せ、2人のローディーと一緒になって、ヒーヒー言いながらフィルモアまで押して行った。

非常に説得力のある文章で、真相はこれに間違いないだろう、と思わせるものです。ステープルトン氏は、ウィンターランドの器材搬出扉がロックされていて手をこまねいたら、美人の連れ(シャーロット・マーティン)を伴って、ギターを取りに現れたエリックが、工具箱からハンマーを取り出して、錠を壊してしまえと命じたこと(笑)、搬出の最中にジンジャーのスネア・ドラムが街の悪ガキに盗まれそうになって必死で追いかけたこと、ロバート・スティグウッドが、横から観るためのイスが欲しいとビル・グレアムに申し出て無視され、コンサートのあいだ憮然として立っていたこと等、愉快なエピソードを驚くべき記憶力でビビッドに物語ってくれます。

ビリーが撮った当夜の写真が2枚UPされていますが、日付が本当なら、あのCrossroadsとSpoonfulをプレイした伝説の日のステージ・ショットが流出するのはこれが初になります。ステージ袖で何かの箱に腰掛けているネクタイ姿の紳士が見えますが、もしかしてスティグウッドなのかもしれません(笑)。

こうなると、Wheels Of Fire "Live At The Fillmore"は、二転してタイトルにそれほど偽りなかったことになります(Traintimeのみ、3/8ウィンターランドでの録音)。ECの数あるライヴ録音のなかでも歴史的重要度は最上級に位するので、会場を特定するのは意義あることと考えます。

しかし、これをどうやって広めよう(笑)。

>件の記事を見つけました。
http://www.billystapleton.com/RompWithCream.html

これは面白すぎるレポートではないですか。写真も貴重です。
フィルモアに機材を移動させるエピソードをここまで具体的に書けるということは、3/10がフィルモアというのは事実でしょうね。

スティグウッドが座る場所を要求してグレアムと揉めた、というエピソードはグレアムの自伝にも出てきます。

ただし、スティグウッドが、グレアムの親戚用にステージ上に用意してあった椅子に自分を座らせるよう要求し、スティグウッドは要求を受け入れなければクリームの出演を止めさせるとゴネたので、グレアムはそれを断ったあげく、彼のスタッフがスティグウッドを建物から小突き出したと書かれてます。「5400人の聴衆」という記述があるので、グレアムの記憶が正しければウィンターランドでの出来事だと思います。
このやりとりを報告されたクリームのメンバーの感想は「そりゃスゲえ」(ジンジャー)、「最高」(EC)だったそうです。

リンク先の写真ではスティグウッドは無事ステージサイドで見ているようなので、ウィンターランドでは小突き出されたスティグウッドは、10日のフィルモアではとりあえずはステージ脇で見ることを許されたということなのではないでしょうか。

同じ箇所の記述によると、フィルモアの公式キャパは900人だったもののクリームの時は3600人詰め込んだそうです。売上は2週間トータルで8万3000ドルだったとのこと。

いま手元にありませんが、ビル・グレアムの本は以前読みました。

この手の回想録には付き物ですが、昔の事だし、いろいろな意味で厳密性に欠けたり、誇張、物事を実際以上に面白おかしく粉飾している部分もあるんじゃないでしょうか。それ言ったらステープルトン氏のもそうかもしれませんが(I Feel Freeをやったなんて書いてますが、確かに67/6/1パリの映像が残ってるけど、68年にもなってやってるかあ?)。

フィルモアとウィンターランド双方の出来事が記憶の中でごっちゃになっている可能性もありますね。

フィルモアに3600人(!)詰め込んだというのは、68年じゃなくて、67年の第一回目のシスコ公演(8/22-27、8/29-9/3、会場はすべてフィルモア)じゃなかったかなあ。評判が評判を読んでの最終日の入場者数。

しかし詰め込み過ぎやろそれ、なんぼなんでも(笑)。

粘り気が強すぎるから、余計なオヤジも引っ掛かって来てしまいましたがな!笑

ちと横入り、失礼。m(__)m

3/10=フィルモアという線は、かの方の記載が非常に具体的且つ詳細である事からして、非常に信憑性が高いと思いました。
しかし、一緒に掲載されている当時の写真は、果たして「フィルモア」なんでしょうかね?

2点の写真の内の下の写真の画像ファイル名が「ウインターランド」となっているのが、ちと気に掛かるのですが?(粘疑問)

バックドロップのサイズから推して、やっぱりフィルモアなんじゃないかなあ。
下の掲示板にUPされているウィンターランド公演のステージ全景をご覧ください。

Winterland, San Francisco, CA, March 1968
http://creamfans.proboards.com/index.cgi?board=picturesband&action=display&thread=38&page=8

画像ファイル名については、以前別のサイト(もう潰れてしまいました)にステープルトン氏が撮った別の日のバックステージ画像(確か3/9分)がUPされていたことを考えると、ここに上がったショットを含む一連の写真にまとめて"Winterland"のファイル名を振ったのかもしれませんね。

この記事のサブタイトルが Cream, Winterland 1968 "Wheels of Fire" recordingsとなってるので、そこから来てる可能性もあります。

回想は厳密性を欠いたり、誇張されたりというのはその通りだし、フィルモアとウィンターランドの記憶がごっちゃになってるというのもあり得る話でしょう。

画像のファイル名までは気づきませんでしたが、写真の後方に見える2階席バルコニーの形がウィンターランドぽいかなとは思いました。
http://www.thrasherswheat.org/rns/winterland-photos-3.htm

フィルモア内部の両サイドの形状はこのよう独立したボックス席みたいになってます(当時から変わってなければ)。
http://www.examiner.com/indie-music-in-san-francisco/the-fillmore-auditorium-mini-profile

ステイプルトン氏は just over Ginger's cymbals is a figure in a suit...Robert Stigwoodと書いてますが、あまりスティグウッドに似てない感じ。

まあ、皆さまの老後のご研究に委ねます。笑

2階席バルコニーか・・・明度を最大にして写真を見比べてみましたが、確かにこれはウィンターランドっぽいですね。
「前夜(=3/9)に父親のコダック・インスタマチック・カメラを持参してたくさん写真を撮った」とあるので、その日のものかもしれませんね。

歴史的な日の写真でなくて、ちょっと残念。
でも、3/9としたら、Sunshine Of Your LoveとSteppin' Out (Live Cream Vol.2)と、N.S.U. (Those Were The Days)は、この出立ちでプレイされたことになりますね。

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