こんな時でも音楽を聴いた / ティーレマンの「ミサ・ソレムニス」
●少し前にUKから届いたブルーレイ。日曜夜にようやく視聴。金曜以来、まったく音楽を聴いていなかったのだけど。
●クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン。2010年2月13日に彼らの本拠地ゼンパーオーパーで行われた、ドレスデン爆撃戦没者追悼演奏会のライブ。ディスクの詳細はこのあたりで。
ティーレマンのいつもの音楽通り、力ずく、ごり押すような部分は皆無、全体がほとんど完璧な設計図の下に冷静に進行していく感じ。絶叫調になりがちな Gloria、Credo ですら、バランス良く、響きの純度の高さを保ったまま進む。シュターツカベレ・ドレスデンの出す、刺激的とはかけ離れた響きの素晴らしさにもあらためて驚く。こんな室内楽的な透明感に溢れたミサ・ソレを聴いたのは初めて。
●会場にはゴルバチョフ元ソビエト大統領の姿。追悼演奏会なので、指揮者、歌手が登場しても拍手はなし。終演後の拍手もなし。終演後はしばらくの黙祷後、演奏者も聴衆も退席。
発売は先のティーレマン/ウィーン・フィルのベートーヴェン全集と同じく C Major で製作はユニテル。日本語字幕が出るのもベト全と同じ。Amazon UK で送料込み18ポンドちょっと。
●数え切れない数の犠牲者、被災者がいらっしゃる中、職場に一夜缶詰にされ、満員の始発で土曜朝帰宅という、どうでもよい程度の不具合に見舞われただけの私は、帰宅後、来週行く予定だったコンサートのことを考えた。19日のミューザ川崎でのチェコ・フィルはホールの天井が崩落したため中止。17日のハーディング、新日フィル公演は前日に決定の模様(中止になりました)。
●「こういう時期にコンサートやるなんて不謹慎」という意見も見た。
私は被災とはまったくかけ離れた立場のただのお目出度い人間。けれど、自分はどんな辛い時でも音楽が聴けたからこそ生きて来れたと思う。満員電車の中で癒され、心がズタズタに引き裂かれて眠れない夜も癒され、何の希望も見えない時でも音楽を聴いた瞬間にポジティブな気持ちになったり。そうして生きてきた。今の私の状況は被災とはまったくかけ離れたものだけれど。
●音楽家というのは、そういう喜びを人々に与えることを生業としてきた人たち。それが、ある日、「今お前達が仕事をするのは不謹慎だ」と言われる。もしその言葉が正しいなら、いつから演奏家は音楽を奏でるという仕事をすることが許されるのだろう。それは誰が決めるのだろう。批判があることは承知している。コンサートを成り立たせるための最低限の物理的な条件もあるだろう。でも、こんな時だって人間は音楽ができるんだ、という姿を私は見たい。
●フルトヴェングラーは戦火の最中にも指揮をしたし、ウィーン・フィルは砲撃音が聞こえる中でも定期演奏会をした。新響も終戦の半年前までは定期演奏会を続けた。もちろん悲惨な自然災害と戦争はまったく同じではないけれど。
●昨夜寝る前に、もしや自粛中かなと思って見たCS局のエロチャンネルが、平常運行でガンガン放映中なのを見て、これで良いと思った。もちろん電気は貴重だ。でも、快楽の喜びがあるからこそ生きていられるのが人間だと思う。自粛なんてことにはなりませんように。
●こんな時でも私は音楽を聴いた。
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