クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」(2008年作)
神様イーストウッド様の2008年作品。この作品後は監督業に専念するそうなので、役者としてのラスト作品。公式サイトはこちら。
我がDVD購入候補に入ってましたが、この度、アマゾンで990円で売られていたのでポチり。
自分は映画館では見ておらず、去年、機内で見ました。往路で見て素晴らしかったので、復路でもまた1回鑑賞。2回とも涙腺ゆるゆる。
●イーストウッド演じる主人公は朝鮮戦争の退役軍人。すさまじい頑固ジジイ。妻に先立たれて一人暮らし開始。仲間は犬だけ。
隣に越してきた移民のモン族をグーク呼ばわり。自分を心配してくれる若い牧師を苦労知らずのくせに愛を説く童貞野郎と罵り、アメリカの敵?、トヨタ車ディーラーなんぞをやってる息子を嘆く元フォード職工。他人と協調する気なんてさらさらなし。
愛車はぴかぴかのフォード・グラン・トリノ。でも乗らない(笑)。乗るのはポンコツ・トラック。
●彼が、隣人のモン族の若者をギャング団から救うためにやったことは・・・
というお話ですが、ストーリーはもろ西部劇。そのまま舞台を19世紀の米国西部に移し替え可能。ラストで敵に向かって立ちはだかるクリントの姿は完全にガンマン姿の彼とかぶります。ロナルド・レーガン的なヒーローとはまったく異なる、ある意味アンチ・ヒーロー。
哀しいラストですが、肉体は滅びても魂は引き継がれる、みたいな不思議な希望がじわりと残ります。
守られるモン族の若者のお姉さん役は、Ahney Her というアジア系の人ですが、フォトジェニックな美人では全然ないのに、不思議な可愛いさがあります。
●いつまでも余韻の残るラストテーマは、息子カイル・イーストウッド作。イーストウッドもボーカル取ってます。ボーカルというより語りみたいですが。
美しすぎるので見てすぐに、iTune Music Store で探してポチってしましました。
●クリント・イーストウッド、78才。次に日本で見れるのは、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカが舞台の「インビクタス」で今週封切り。
見るに決まってんでしょーが。
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『インビクタス』観てきました。イーストウッド、毎回本当に見応えのある映画を作りますね。
この人の映画にはいつも、スピリチュアルな存在、神といってもいいんですが、そういう目に見えないものへの希求が通奏低音のように流れてますね。そこが崇高さを感じさせて、観ていて背筋をピンと伸ばしたくなります。
冒頭でネルソン・マンデラ氏の釈放が1990年2月11日だったという説明が出て、そこから映画が進むに連れ、ある事に思い至りました。今からきっかり20年前ということになりますが、その頃日本はローリング・ストーンズ初来日のフィーバーに席巻されていました。私も例外ではなく、マンデラ氏釈放のニュースは記憶にありません。が・・・
私は、2/14、16、17、26、27と、都合5回ストーンズを観ました。1回目の東京遠征(2/14〜17)の際、ストーンズのオフ日に当たる2/15に、なんとチャーリー・ヘイデンのリベレーション・ミュージック・オーケストラただ1日かぎりの来日公演が、昭和女子大学人見記念講堂であると知ったのです。カーラ・ブレイ、ドン・チェリーといった錚々たるメンバーが名を連ねていました。ラッキーとしか言いようがありません。
ライヴが進んで、ヘイデンが「ネルソン・マンデラに捧げる」と前置きして演奏を始めた曲がありました。知らない曲でしたが、長い演奏の途中、メンバーのひとり(たぶんドン・チェリー)が前に進みでて"Free Nelson Mandela!"と叫んだのはよく覚えています。いま思えばそれが、来日後に出た3rd『ドリーム・キーパー』に収録された、アフリカ民族会議(ANC)の党歌で、その後南アフリカ共和国の国歌にもなった「ンコシ・シケレリ・アフリカ(アフリカに祝福あれ)」だったのです。
『インビクタス』では「神よ、アフリカに祝福を」という訳が降られていたこの歌が、作品のキーともなる重要な扱いをされていたことで、20年前には全然見えていなかった諸々の「意味」が自分の中に降りてきたのです。イーストウッドが志向する<スピリチュアルなものへの希求>とあたかもパラレルであるかのように。
投稿: ブルー爺 | 2010.02.22 01:10