King Curtis の復刻盤 Get Ready
●キング・カーティスのディスクはフィルモア・ウェストのライブ盤だけしか持っていない多くの人間の一人ですが、復刻されたカーティスのCDを買ってみました。
1970年作の Get Readyで、最晩年のスタジオ録音。CD製作はライノ。
●といっても、大きな目当てはクラプトンとD.ブラムレット参加の6曲目 Teasin' なのでそっち寄りのことしか書けません。
その Teasin' ですが、カーティスとブラムレットの共作で録音は70年1月のロス・アンジェルス。この曲だけ、ブラムレットのプロデュース。
ECのバイオ的には、12月のデラニー&ボニーのツアー後、最初のソロ・アルバム録音のためにロス・アンジェルス入りして早々に行ったのがこの曲のレコーディングだそうです。たぶん1月上旬(1月14日がロンドンのライシアムでのドミノス最初のコンサートなので←間違いました。1月14日でなく6月14日です)。
●曲は、単純なリフを繰り返すファンクという感じで、Eric Clapton:Lead Guitar というクレジットとは裏腹に、ド派手なギターソロがないどころか、カーティスのソロもありません。途中のギターリフはデラ・ボニ色濃厚。この曲でクラプトンが弾いてると言われれば「あっそう」って感じですが、途中聞こえるワウの効いたギターがECかしらん。
他のメンバーについては、元のLPのカバー裏には、単に "Friends" とだけありますが、ロバーティの Recoridng Sessions 1963-1995 には、C.レイドル(Bs)、J.ゴードン(Dr)とあります。要するに、ホイットロック抜きの後のドミノス。
●カーティスの自作5曲(共作含む)と、テンプテーションズ、ビートルズ(2曲)、サイモン&ガーファンクル、シュープリームスのカバーが5曲の全10曲。5曲目 Soulin' でのDavid Hood のベースがもろ Memphis Soul Stew で、曲調も似てます。
カーティスのサックスが素晴らしく歌うので、彼の演奏が好きなら Teasin'抜きでも充分楽しめます。リズム隊も格好良いです。半端なフェイド・アウトで終わる曲が多いのが残念ですが。
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コメント
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>1月14日がロンドンのライシアムでのドミノス最初のコンサート
待て待て待て待て。
1月じゃなくて6月14日ですわな。単なるケアレスミスだと思いますが。
ところでRAH最終日についてはコメントされないんですか。
ウィンウッドとのUSツアーが絶賛進行中の今、あれはほとんど「なかったこと」みたいにされてるような感なきにしもあらずですが(笑)。
投稿: ブルー爺 | 2009.06.19 00:46
>1月じゃなくて6月14日ですわな。
すでに同様の指摘が舞い込んでまして。恐るべし・・・
RAH最終日は睡魔と闘ってまして、その時点でまとまったこと書くのは放棄しました。
sitdownが短縮されたり、ちょっと気抜けた演奏という印象でしたけど。
音源あるみたいなので、あらためて確認してみます。
>ウィンウッドとのUSツアー
西海岸はまだ間に合う!(しつこい・・・)
なんか日本にいる感染リスクも渡航によるそれも変わらなくなっちゃったようで。人生うまくいかんですね。
投稿: Sato | 2009.06.19 13:02
事の成行きってことで、前からひとつ気になっていたことを書かせてください。
このライシアムでのドミノズのデビュー・ギグですが、当時ML誌編集長だった星加ルミ子氏とカメラマン長谷部宏氏が取材に行ってます。開演前の楽屋にも招待されていて、これがたぶん日本人初のEC密着取材だと思います。そのときの様子は74年EC初来日のプログラムにも見開き2ページで載っています。
気になるのは、ドラマーをジム・ケルトナーと誤表記しているのはともかく(笑)、記事のどこにもグループ名が見当たらないことで、全体の書き方からして、ルミ子女史がこのイベントをクラプトンと彼のバックバンド、つまりECのソロ・コンサートとしてレポートしているのは明白です。
デレク&ザ・ドミノズという名前は、ステージに上がる直前に、共演者のひとり、トニー・アシュトンが思いついたというのが定説です。ここで、この前後のECの活動を時系列で追ってみます。
ソロアルバム『エリック・クラプトン』発売(US7/13?、UK8/7)
『レイラ』発売(US11/9、UK12/11)
第1次UKツアー(クラブ中心)8/1〜22
第2次UKツアー(ホール中心)9/20〜10/11
USツアー10/15〜12/6
ドミノズというと、名盤『レイラ』を世に送り出した偉大なグループというイメージが今では定着していますが、リアルタイム、とくに英国でのそれにおいては、クラプトンの初ソロ作をプロモートするためのバックバンド、みたいに思われていたんじゃなかろうか、と想像します。かなり辺鄙な地方都市のクラブをまわっていたことからして、クリームやブラインド・フェイスよりも相当格落ちした目で見られていたんだろうなあ、とも。
投稿: ブルー爺 | 2009.06.21 02:36
適当に本めくって見ました。
前回のジミ・ヘンねたにも出てきたシャピロの別の本にこんな記述が(「スローハンド伝説」(Lost In The Blues))。
「1970年12月、「いとしのレイラ」がリリースされたとき、このアルバムは批評的にも商業的にも失敗作となった。批評家の悪評は今に始まったことではなかったし、意外なことに、エリックはクリームが解散して以来イギリスではあまり注目されていなかったのだ。 このアルバムは、アメリカでもトップ10にも入らなかった。商業的な失敗はどうにも釈然としなかった。ポリドールはこのアルバムのプロモートを全然しようとしなかったのだ。何かうらみでもあったのだろうか?しかるべきプロモーションがなければどんなミュージシャンも成功できるはずがない。」
ということなので、シャピロの言葉をそのまま信じれば、ドミノスは放置されたようです。
>クリームやブラインド・フェイスよりも相当格落ちした目で見られていたんだろうなあ、とも。
でしょうね。
ドミノスがUKでは小会場を回ったというのは、クラプトン自身、派手に注目されながら音楽することにうんざりしてたというのもあるんでしょうけど。
上の本を読むと、ブラインド・フェイスについては、メディアもレコード会社もマネージメント側も盛り上げ意欲満々だったようですが、ソロ作はファンの受けも批評家の受けも芳しくなかったそうで。結局それ以降は無視。プロモートする気もなし。
そんな状況じゃあ、はるばるやって来た極東の音楽メディアがドラマー名を間違えるのも当然です。
72年にシングルカットされたレイラは英米でヒットしたそうですから、世間なんて勝手?なもんです。
投稿: Sato | 2009.06.21 18:10