フルトヴェングラー、もう一つのバイロイトの「第9」を聴く
ついにこういう物まで出てしまいました。
1951年7月29日、ドイツ(当時は西ドイツ)、バイロイト音楽祭開幕コンサートのライブ盤。フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団他。クラシック音楽好きなら、知らなきゃモグリ級の超有名な公演の録音です。
数ヶ月前に、フルトヴェングラー・センターという組織の会員にのみ頒布されましたが、ドイツ、オーストリアの放送局に眠るライブ音源のディスク化でファンの多い Orfeo レーベルからこのたび一般発売となりました。HMVのサイトによると、すでに現時点でオーダーが1200枚超えたそうで。おそろしや(笑)。
●その筋(どの筋じゃ)の方々には、前振りはいらんかと思いましたが、お約束で当公演音源の基本知識をさらりと。
Beethoven: Symphony No.9 / Furtwangler
この公演の「ライブ録音」は、EMIから正規盤(上)が発売されてから50年以上が経過してます。より良い音を求めて、ブート業界まっ青の、マスタリング合戦、新マスター発見合戦、各種板起こし合戦も繰り広げられてます。Zep に例えたら、Listen To This Eddie みたいな「葵の御紋」的音源です(笑)。
しかしながら、以前から、EMI盤は本番の演奏ではなく、ゲネプロの演奏ではないかと言われ、本番の録音はバイエルン放送のアーカイブに眠っているのではないかという説が根強く主張され続けてきました。
●今回登場したディスクの演奏は、演奏のコンセプトは同じながら、EMI盤と大幅に異っており、演奏中に聞こえる客席ノイズ音から考えて、「EMI盤ゲネプロ説」は証明されたものと思われます。
ただし、Orfeo盤とEMI盤は同じと思われる箇所もあり、EMI盤は「ゲネプロ録音をメインに部分的に本番録音を使用し編集」ということでほぼ確定と思われます。
EMI盤で本番時のテイク部分と思われた咳払い等の客席ノイズ (*) が、Orfeo盤に該当する箇所が見あたらないのは不思議ですが(まさかEMIがライブ感を出すため意図的に混入させた?)。
●で、肝心の演奏内容ですが。
私的には、Orfeo盤は、EMI盤に比べさらに緊張度の高い演奏と感じました。特に第1楽章。本公演は、ドイツの敗戦により中断されていたバイロイト音楽祭の再開を飾る公演として、演奏者達にとっては特別の意味があったわけで、そのことをまざまざと実感させるような演奏です。
逆にEMI盤は良い意味でリラックスしたというか、本番の演奏にはない伸びやかさがあります。
どちらも充分魅力的で、「本番盤が出た以上EMI盤はもうイラネ」にはならんです。この「公演」を2つのヴァージョンで聴けるとはなんたる幸福か。
それにしても、第2楽章の猛烈なドライブ感、第3楽章の神々しい表情といい素晴らしいです。この世に「音楽」が鳴り始めて以来、人類が鳴らした最高の音の一つですな(大袈裟ですが)。
●音質的には、EMI盤がエコーの多いややぼやけた音(特に合唱)なのに対し、Orfeo盤ではエッジの効いた生々しい楽器音が聴けます。それだけでもかなり興奮させられます。合唱もぼやけ感がありません。
ゲネプロ時と本番時でマイクセッティングがかなり違ったのかもしれませんが、それが事実ならなぜそういう面倒なことをしたのか不思議ではあります。
マイクセッティングは同じで、EMIがマスタリング時に音源を加工したとも考えられますが、それにしても両者の音の傾向はかなり違います。
Orfeo盤は若干ステレオ・プレゼンスが付加されていて、終楽章のソロ独唱部分など各パートの分離が悪く平板な音になってますが、それ以外は聴きやすい音にまとめられています(当方、フルトヴェングラー・センター盤は未聴)。
なお、Orfeo盤の元となったバイエルン放送のマスターテープには、「放送使用禁止」と書かれていたそうです。これもちょっと謎ですね(笑)。
●EMI盤、Orfeo盤(さらにセンター盤)をめぐっては、それだけで一冊本が書けるくらいのネタがありますが、私の手には余りあるのでこんなところで。 リマスタリング担当は、Orfeo 盤の多くでの過剰なマスタリング処理がしばし批判される、Othmar Eichinger ではなく、Christoph Stickel (msm-studio) となってます。
ディスク聴く前は緊張しました。録音で音楽聴くのにこんなに緊張するなんて何十年ぶりでしょう(笑)。EMI盤を聴いてからたった年月の長い人間ほど、当盤の登場に対する感慨は大きいと思われます。
以上、年末登場の超弩級盤でした。
(*) EMI盤では、第1楽章第2主題が始まってすぐ、「コホン、コホン」という咳き込みが聞こえ、その50秒程後に、床を踏むというか、何かぶつかるような「ゴトン」というノイズが入ってます。
ゲネプロに立ち会い人がいても不思議ではないですが、Orfeo盤の解説によると、「フルトヴェングラーはぎりぎりにバイロイトに到着し、リハーサルの時間はほとんどなかった。彼は最終リハーサルへの一般の立ち入りを拒否した」とあります。まあ、関係者でも咳きくらいするでしょうけど(笑)。
今年のお仕えもあと1日で終わり。こんなに疲れた年はなし。歳ですな(ガクッ)
帰路、ボーッと今年買う最後のCDについて考えてました。なんとなく決まりました。なんとなーく。
« 2007年有馬記念に脱力する | トップページ | リヴォン・ヘルム、Dirt Farmer を聴く »
「クラシック音楽」カテゴリの記事
- 第20回サイトウ・キネン・フェスティバル松本のオーケストラ・コンサートを聴く(2012.08.27)
- ベルリン・フィルから日本の人たちへのメッセージ(2011.03.17)
- こんな時でも音楽を聴いた / ティーレマンの「ミサ・ソレムニス」(2011.03.14)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
ご無沙汰です、Satoさん。
仕事が忙しい上に家族の不幸、および自分の怪我も重なるという三重苦状態です(苦笑)。
ですが、「その筋(どの筋じゃ)の方々」のはしくれでもあり、このネタには食いつきましょう。
フルトヴェングラー51バイロイト盤「第九」は私もレコード時代からずいぶんいろいろ買ってますが(一番最初に買ったのは1枚ものの東芝擬似ステLP)、最近はもうホントに板起こしCDがいろいろ出ていますね。英国盤あり、フランス盤あり、イタリア盤あり、日本盤(コロンビア社LP使用)あり……、とまぁとてもじゃないですが書ききれないくらい出ています。
それだけこの演奏が特別なものであり、日本のクラシック音楽ファンに親しまれているということなのでしょうね。
今回の「本公演」盤については、当初フルトヴェングラー・センターという組織の会員のみでの頒布、というずいぶんヘンな方法が取られていましたが、一般のCDショップでも買えるようになり、ありがたいことです。Orfeoも妙に頑張りましたねぇ。日本から相当プレッシャーをかけられたんじゃないでしょうか(笑)。
51年のバイロイト「第九」の演奏についてはEMI社のプロデューサーであるウォルター・レッグが指揮をとったフルトヴェングラーに対して「本番よりゲネプロのほうが出来が良かった」と面と向かって言った、という信じられないようなひどい逸話が残っています。EMIからの同公演盤が練習の音を使用してレコード制作をしたのはある程度納得いくわけですが、そうなると「本番はどうなんじゃい!」と思う人間が出るのは世の常でして、そうした点からも今回のOrfeo盤は価値があると思います。
久しぶりの投稿なのでグチャグチャ書いていますが、敢えてRockのBootに例えれば、Stonesの72年フィラデルフィア公演は「フィラスペ」でも別のボード音源でも聴けて、それぞれに大いに楽しめる、といった感じなんでしょうね(笑)。
でも、この調子で54年バイロイト「第九」もマトモな音のものを出してくれませんかねぇ(オイオイ)。
投稿: Kazu | 2007.12.27 02:23
Kazuさん、ごぶさたです。
ご多忙かなと思ってましたが、ご家族に不幸があったとのこと。ご心中察します。
お怪我、快癒お祈りしてます。
>一番最初に買ったのは1枚ものの東芝擬似ステ LP
同じですねえ。シルバーのカバーのやつで、2000円だったような。
お互いお小遣いでLP買ってた頃なのでお値段的に手頃だったのではないでしょうか。
>日本のクラシック音楽ファンに親しまれているということなのでしょうね。
演奏のインパクトが強い反面、録音がイマイチなので、ほんのわずかな音質upでも大事件という感じですね。外国のレビューみても名盤扱いは変わらないようですが、一番惚れ込んでるのは日本人でしょう(笑)。
>レッグが指揮をとったフルトヴェングラーに対して「本番よりゲネプロのほうが出来が良かった」と面と向かって言った
これ結構有名なエピソードだと思いますが、出典は何なんでしょうねえ。
>この調子で54年バイロイト「第九」もマトモな音のものを出してくれませんかねぇ(オイオイ)。
正直、新譜が下降の一途をたどってるジャンルなので、どんな蔵出しがあっても不思議ではないと思いますよん。まあ、まったりと期待しましょう。
投稿: Sato | 2007.12.30 00:28