アーメット・アーティガン氏死去(1923-2006)
アトランティック・レコードの創立者、アーメット・アーティガン(Ahmet Ertegun)氏が12月14日にニューヨークの病院で亡くなりました。
アーメットは、10月29日、ニューヨーク、Beacon Theaterでのローリング・ストーンズ公演のバックステージで誤って転倒し頭を打ち、昏睡状態が続いていたそうです。享年83才でした。訃報記事はこちらで。
なお、同公演は、ビル・クリントン元大統領の60才の誕生日を記念する特別な公演だったそうです。最期まで音楽と一緒にいたんですね・・・
アーメット・アーティガンがアメリカのポピュラー音楽に果たした貢献は、通り一遍の追悼記事などでは語れないくらい途方もなく大きいもので、彼がいなかったらR&B、ソウル、ロックの歴史はまったく変わっていたことでしょう。
アーティガンは自伝を書いていませんが、幸いにして、ドロシー・ウェイドとジャスティン・ピカーディーの共著「アトランティック・レコード物語」(早川書房、林田ひめじ訳 原題は Music Man : Ahmet Ertegun, Atlantic Records, and the Triumph of Rock'n Roll)という傑作書があります(こんな面白すぎる本がなぜ絶版なんでしょう)。
同書によると、
アーティガンに言わせれば、「白人のロック」は、それまでアトランティックの主力だった R&B やソウル・ミュージックから生まれるべくして生まれた産物(同書174頁)
なのだそうです。まったく正論ですが。
またそんなアーティガンは、R.スティグウッドのポリグラムによって製作された、クリームのファースト・アルバム( Fresh Cream )について次のように語ってます。
(同書によれば、スティグウッドがクリームとマネージメント契約をしたのは、アーティガンの勧めによるものだったそうです)
「できあがった最初のレコードを聴いてみたんだが、私の好みから言えば、ブルースが足りなかった」とアーティガンは語る。「あまりにポップス寄りのレコードを作ったロバートに、私は怒鳴り散らしたよ。しかしとにかく、レコードはヒットしたんだけど、その後われわれがプロデュースすることにした・・・・・それにしても連中の出す音はデカかったよ。パワートリオと言われた最初のグループだった。こっちまで耳をやられるかと思ったね」(同書175頁)
まったく、なんというオヤジなんでしょうか、アーティガンという人は。ロバート・スティグウッドを怒鳴り散らせる人なんてもう今じゃ誰もおらんでしょう。コワ。
裕福な大使館員の息子であったアーティガンというトルコ人は、ただ自分が好きな音楽のためにレコード会社を作りました。当時は、白人の牛耳るレコードビジネスから、「くだらない」として放置された黒人音楽を扱うインディぺンデント・レーベルにすぎなかったわけです。

そして、我々に莫大な音楽財産が残されたわけで、個人的には、「ご冥福をお祈りします」なんていう、儀礼的な追悼の言葉より、「ありがとう、アーメット」といいたいですね。
« Jan Reid の「Layla」本、届きました | トップページ | Derek and The Dominos / Why Does Love Got to Be So Sad (by Clapton and Whitlock) »
「ロック」カテゴリの記事
- Rock & Roll Hall Of Fame 創立25周年記念コンサートを見る(2010.11.13)
- クラプトンの2009年ツアー・メンバー(2008.12.21)
- スティング、エディン・カラマーゾフの大阪公演に行く(2008.12.20)
- ニール・ヤングのライブ記録本 Ghosts On The Road(2008.12.29)
- ニール・ヤング、Sugar Mountain: Live at Canterbury House 1968 を聴く(2008.12.05)
「本」カテゴリの記事
- グレッグ・オールマン自伝、My Cross to Bear が発売(2012.05.02)
- ボビー・ホイットロックの自伝 A Rock'n Roll Autobiography(2011.02.02)
- 『現代思想』臨時増刊号「総特集=ボブ・ディラン」(青土社)(2010.04.18)
この記事へのコメントは終了しました。
« Jan Reid の「Layla」本、届きました | トップページ | Derek and The Dominos / Why Does Love Got to Be So Sad (by Clapton and Whitlock) »
コメント